患者が生きるのは権利か義務か? 小説『神様のカルテ』著者×コラムニスト医師 【大学同期の医師対談】 (1/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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患者が生きるのは権利か義務か? 小説『神様のカルテ』著者×コラムニスト医師 【大学同期の医師対談】

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白石 圭dot.#ヘルス#病気#病院
夏川草介(なつかわ・そうすけ)
長野県で地域医療に従事。2009年、『神様のカルテ』で第十回小学館文庫小説賞を受賞しデビュー、シリーズ320万部のベストセラーに。信州大学医学部卒業で、大塚氏と同期。シリーズ4年ぶりの新作『新章 神様のカルテ』が19年1月に発売(撮影/倉田貴志)

夏川草介(なつかわ・そうすけ) 長野県で地域医療に従事。2009年、『神様のカルテ』で第十回小学館文庫小説賞を受賞しデビュー、シリーズ320万部のベストセラーに。信州大学医学部卒業で、大塚氏と同期。シリーズ4年ぶりの新作『新章 神様のカルテ』が19年1月に発売(撮影/倉田貴志)

大塚篤司(おおつか・あつし)
京都大学医学部特定准教授。皮膚科専門医。がん治療認定医。信州大学医学部卒業で、夏川氏と同期。AERAdot.での連載をまとめた『「この中にお医者さんいますか?」に皮膚科医が……心にしみる皮膚の話』が8月20日に発売(撮影/倉田貴志)

大塚篤司(おおつか・あつし) 京都大学医学部特定准教授。皮膚科専門医。がん治療認定医。信州大学医学部卒業で、夏川氏と同期。AERAdot.での連載をまとめた『「この中にお医者さんいますか?」に皮膚科医が……心にしみる皮膚の話』が8月20日に発売(撮影/倉田貴志)

京都大学大学院特定准教授でコラムニストの大塚篤司医師(右)と医師で作家の夏川草介さん(左)。二人は大学の同期で、大学卒業以来となる再会を果たした(撮影/倉田貴志)

京都大学大学院特定准教授でコラムニストの大塚篤司医師(右)と医師で作家の夏川草介さん(左)。二人は大学の同期で、大学卒業以来となる再会を果たした(撮影/倉田貴志)

新章 神様のカルテ

夏川 草介

9784093865319

amazonamazon.co.jp

 コラムニストとして医師・患者間の橋渡し活動をおこなっている京都大学大学院特定准教授・大塚篤司医師の初の著書が8月20日に発売になった。AERA dot.の連載をまとめた『「この中にお医者さんいますか?」に皮膚科医が……心にしみる皮膚の話』(朝日新聞出版)だ。

 大塚医師は信州大学医学部出身で、同じ学年には、のちに小説『神様のカルテ』で作家デビューする医師の夏川草介さんがいた。お互い、大学時代はその存在を認識する関係だったというが、卒業後は「風の便り」で活躍を耳にするくらいで、会う機会はなかった。今回、大塚医師からの対談企画の呼びかけに夏川さんが応じ、大学卒業以来となる再会を果たした。夏川さんが最新刊『新章 神様のカルテ』で描く医療現場について、大塚医師が質問を投げかけ、患者の在り方を語り合った。

【小説『神様のカルテ』著者×コラムニスト医師 医療情報を発信する共通項は?】

*  *  *
大塚篤司(以下、大塚):『新章 神様のカルテ』に、「生きるのは権利じゃない、義務だ」というセリフが出てきましたよね。これを断言するのは、個人的には勇気が要るなと思ったんです。

夏川草介(以下、夏川):僕がずっと思っていることだったんです。「自分の命なんだから自分で決める」と言う患者さんがいる。こちらの説明を聞いたうえで治療をやめたいと冷静に判断する人もいれば、説明を聞かずに「病院はいやだ、家に帰してくれ」という人もいる。

 こういう人はよく「何事も自分で決めて一人で生きてきた」と言うけれど、絶対にそんなことはないんです。生きているというだけで人は必ず誰かの力を借りている。実際「誰にも迷惑はかけない。俺の人生は俺が決める」と言う患者さんを、陰から必死になって支えている家族を目にすることも少なくない。

大塚:たしかにそういう患者さんはいますね。

夏川:生きているだけでもたくさんの人があなたを支えているんですよ、ということをわかってほしい。支えてくれる周りの人のことを考えると、人生の選択ってそんなにたくさんなくて、できることを全部やるしかないと思うんです。結局残された道をがんばるしかなくて、それは義務なんだ、というのがこれまでの経験からの僕の感覚なんですね。もっといえば、自分の命は自分だけのものじゃなくて、みんなのものだという感覚です。

大塚:僕の感覚では、たとえば、医者にとっても家族にとっても「いい患者」でいようという人がけっこう多いように思うんです。医師の提案や家族の希望する治療を受け入れるのが正しいと思っている患者さんがいる。でももしかしたら、それは患者の本当の意思ではないかもしれない、という気もするんです。

 医者をやっている以上、どんな人でも命を助けて、一日でも長く生きてほしいと思うじゃないですか。でもそれが患者さんにとって苦痛なだけの一日だったら決してプラスではない。『新章 神様のカルテ』では、29歳の膵がんの女性が自宅で最期を迎えようとしていたけれども、主人公の医師・栗原一止の言葉で思いを変えていく、というシーンがありました。命が誰のものなのかというのはすごく難しい問題だなと思うんです。

夏川:いまの社会は、人はどうしても一人では死ねないようになっていますよね。病院で死ぬにしても、患者は痛み止めが必要になる。人はぽっくりとは死ねないから、最期は誰かが支えることになるんです。誰もがほとんど強制的に人とつながらざるをえない。それが良いか悪いかは別として、そういうつながりを意識している人と、意識せずに一人で決められると思い込んでいる人との間には大きな違いがあると感じます。

 今回の「神様のカルテ」の膵がんの女性には、彼女のことをとても大切に思っている夫や子どもがいます。そんな中で「私は痛いのがいやだから死ぬよ」というのでは、大切なはずの家族を自分の人生から断ち切ってしまうことになる。そうではなく、自分を支えてくれている人たちとともに、自分の命に向き合う。それが「生きる」ということで、すべての人にほとんど強制的に押しつけられた義務だというのが僕の認識なんです。


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