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男性アイドルとファンとの距離を縮めた、ジャニー喜多川さんの功績

連載「道理で笑える ラリー遠田」

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ジャニー喜多川さんが創業したジャニーズ事務所。ビルに掲げられた英語の社名(C)朝日新聞社

ジャニー喜多川さんが創業したジャニーズ事務所。ビルに掲げられた英語の社名(C)朝日新聞社

 7月9日、解離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血のため、ジャニーズ事務所代表取締役社長のジャニー喜多川さんが亡くなったことが同事務所から発表された。所属タレントやそのファンからも「ジャニーさん」の愛称で親しまれていたエンタメ界の巨人が、ついに世を去ることになった。

 ジャニーズ事務所は、歌って踊れる男性アイドルを育成することをモットーとしており、数々のスターを輩出しているユニークな芸能事務所である。世の女性たちが熱狂するような男性アイドルを育てて、その市場を開拓したことは日本芸能史に残る偉業である。

 男性アイドルが歌を歌い、映画やドラマに出演して、ニュース番組や情報番組でMCを務め、バラエティ番組で視聴者を楽しませるのは、今では当たり前の光景だが、それらはジャニーズ事務所およびジャニーさんによるものだ。

 中でも特筆すべきは、男性アイドルがバラエティ番組の主役になったことだろう。もともとジャニーズ事務所のアイドルは「一般人には手の届かない王子様」であることを義務付けられていた。コンサートや音楽番組ではファンの前に姿を現すこともあるが、バラエティ番組に出たりして素に近い状態を見せることはあまりなかった。

 その方針が変わったのは、時代が昭和から平成に移った頃だ。昭和末期の1980年代は音楽番組の全盛期だった。『ザ・ベストテン』『歌のトップテン』『夜のヒットスタジオ』などの音楽番組が各局に乱立していて、当時の人気アイドルたちもそこに出て持ち歌を披露していた。ローラースケートをはいて舞台上を所狭しと駆け回った伝説のジャニーズアイドル「光GENJI」が活躍したのもこの頃だった。

 だが、平成に入ると音楽番組が軒並み終了してしまい、アイドルが新曲を歌ってアピールする場所がなくなった。歌と踊りを売りにしていたジャニーズ事務所にとって、これは大きな痛手だった。

 この時代の移り変わりに直面して、ジャニーさんは1組のアイドルをバラエティの世界に本格的に参入させることにした。このとき「平成のクレージーキャッツ」を目指すことを義務付けられた6人組アイドルこそがSMAPである。


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