大学の校名が変わることはよくあるのだろうか。

 平成の約30年間(1989~2019年)に校名変更したところは115もあった(文部科学省調べ)。校名変更の理由、パターンは次のように分類できる。いくつかの大学を例にあげながら解説しよう。

(1)経営者が変わり、新しい大学に変わった。
▽日本橋学館大→開智国際大(2015年)。経営者が開智学園に変わったことによる。
▽道都大→星槎道都大(2017年)。星槎グループの系列になる。
▽京都学園大→京都先端科学大(2019年)。日本電産会長の永守重信氏が大学経営者(理事長)になり、工学部設置を予定している。

(2)系列校と統合して総合大になった。
▽武蔵工業大→東京都市大(2009年)。同じ学校法人の系列校、東横学園女子短期大学と統合し、都市生活学部と人間科学部を設置した。

(3)学部増設で学部の構成が変わり、現行の大学名が適さなくなった。
▽宝塚造形芸術大→宝塚大(2010年)。2010年、看護学部設置による。
▽足利工業大→足利大(2018年)。2014年に看護学部を設置し、卒業生を出して工学部との2学部体制が確立した年に「工業」を外した。
▽岐阜経済大→岐阜協立大。2019年、看護学部設置による。同大学の竹内治彦学長は「大垣女子短期大学に設置していた看護学科をベースに、4年制に発展させることが大学名称変更の直接の契機になりました」と説明する(大学ウェブサイト)。

(4)医師養成大学であることを明確にした。
▽東北薬科大→東北医科薬科大(2016年)。国内で37年ぶりの医学部設置で、医学部も持っている大学ということを明確にした。
▽藤田保健衛生大→藤田医科大(2018年)。同大学の才藤栄一学長は、「これは、『独創一理』という建学理念の下、次の50年もスピード感を持って世界の医学・医療をリードするという決意の表れです」と述べている(大学ウェブサイト)。

(5)校名変更で大学のイメージを変えようとした。
▽松山商科大→松山大(1989年)
▽高千穂商科大→高千穂大(2001年)
▽金沢経済大→金沢星稜大(2002年)など

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