雙葉、東洋英和、品女、JK制服の昭和~平成で激変した勢力図とは? セーラー服、ジャンスカが今は…  (1/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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雙葉、東洋英和、品女、JK制服の昭和~平成で激変した勢力図とは? セーラー服、ジャンスカが今は… 

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小林幸帆dot.

1983(昭和58)年の制服トレンド。中央はセーラー最高傑作ともいえる東京女学館の白いセーラー服(c)森伸之

1983(昭和58)年の制服トレンド。中央はセーラー最高傑作ともいえる東京女学館の白いセーラー服(c)森伸之

コギャル全盛期の1996年。足元は“スーパールーズ”(c)森伸之

コギャル全盛期の1996年。足元は“スーパールーズ”(c)森伸之

JK着こなし最新版(c)森伸之

JK着こなし最新版(c)森伸之

1985年に出版されるとロングセラーになった「東京女子高制服図鑑」(c)森伸之

1985年に出版されるとロングセラーになった「東京女子高制服図鑑」(c)森伸之

「制服マジック」。この言葉に軽くだまされてしまうほど、かわいさ増量を叶えてくれるアイテム。中でも最強は女子高生の制服だろう。

【コギャル全盛期1996年の制服トレンドは? イラストはこちら】

 部活や進学など「絶対にこの学校じゃなきゃ」という特別な理由がない限り、制服は学校選びにそれなりのウェートを占めてくる。
ネットのない時代、受験情報誌の制服ページを眺めて受験勉強に励んだ世代も多いはず。

 ただ、受験情報誌の制服紹介は昭和60年代に入ってからと意外に新しい。そんな時代に制服を最初に紹介したのが、1985(昭和60)年に『東京女子高制服図鑑』を出した森伸之さんだ。

 イラストレーターで制服研究者の森さんは、制服はもちろんバッグや靴にソックス、着こなしの特徴を挿絵で解説。

 まえがきには当時のただならぬ事情もつづられている。「受験生にとって制服の良し悪しは重要問題である。ところが従来は学力面(偏差値)の情報ばかりが氾濫する中で、制服についての情報は口コミなどによって細々と伝えられるにすぎなかった。(中略)合格したまでは良かったが、制服のあまりのヒドさに3年間泣き暮らしたり…」。

 救世主を求めていた受験生だけでなく女子高生やナンパ目的の男子学生(?)など多方面で受け入れられ、予想を超える人気で1994年まで毎年のように出版されるロングセラーとなったが、森さんはその背景に“女子高生ブランドの誕生”と“モデルチェンジブーム”が時代と重なったことを挙げる。

 「バブル前夜くらいで、雑誌などがブランド意識を消費者に植えつけていた時期。東京は異常な数の高校が集まっていて、『あの学校は頭がいい』とか『制服がかわいい、ダサイ』という情報が飛び交い、高校生同士が自分たちの位置づけをすごく意識していた。女子大生ブームが一段落して、次は女子高生が注目され始めていた頃で、彼らにとってのブランドはどこの学校かということだった」。

 1985年は、おニャン子クラブが「セーラー服を脱がさないで」でデビューした年。女子高生であることがステータスになった時期と見事にリンクする。

 そして、モデルチェンジブームの到来。今でこそブレザー&チェックのプリーツスカートであふれているが、昭和の主流はジャンパースカートとセーラー服だった。『東京女子高制服図鑑』では夏服を5パターンに分類してシェアの推移を掲載。1980年は、「ジャンパースカート」が30%、「セーラー服」と「ベスト」が25%、「ブラウス」が17%、「その他」3%だった。当時の最大勢力は「ジャンパースカート」であり、現在の定番スタイル「ブラウス」は2割にも満たなかった。それが昭和から平成への数年で一気に力関係が逆転していく。
 
■有名デザイナーも吹き飛んだ!?生き残ったのは“嫌われない制服”
 
 昭和の受験情報誌の制服ページを開くと、そこにはカラーである意味を奪うモノクロ感。どこまでも黒、濃紺、グレーの世界で、教室よりはどこかの窓口の方が合いそうな風情だ。


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