《わが国における郵便物の数は年間110億通を超え米国英国についで世界第三位である このなかに受取人に配達することも差出人に返送することもできない郵便が180万余通もある これら郵便として使命を果たすことのできない迷子郵便を供養するため郵便創業百年にあたり前島密先生出身の地に近いここ善光寺に全国有志諸君とともにこの塔を建てる 昭和四十六年四月二十日 郵政大臣井出一太郎》

 碑の建立者は長野県内の郵便局長一同である。碑文にあるように、郵便制度が始まった百周年の記念事業として立てられた。

 一見すると迷子郵便供養塔は「記念碑」のようにも思えるが決して、そうではない。紛れもなく郵便物の魂が宿る「供養塔」なのである。その証拠に、内部にはカロート(納骨室)があり、焼却処分されてしまった迷子郵便の“遺灰”が納められている。碑の落慶時には、人間の墓の納骨式などと同様に、魂入れ(開眼供養)が行われたという。

 建立当時、昭和40年代は携帯電話もパソコンもなかった時代である。

 遠距離同士愛し合う恋人へ。集団就職で上京してきた若者から故郷の親へ。愛情や感謝、あるいは謝罪の気持ちを伝える手段が、郵便であった。中には、相手に届かぬ手紙があったに違いない。

 誰にも読まれることなく処分されるに至った不幸な手紙たちは、まさに供養に値するものであろう。

「モノを大事にする日本人の心持ちの表れの最たるものが迷子郵便供養だと思います。手紙には出した人の思いが詰まっていますから」

 前回、迷子郵便の法要が実施されたのが3年前、御開帳の時のことであった。県内の郵便局長が善光寺に参詣に訪れた際、善光寺の当番住職が、

「近年、ほとんど迷子郵便の供養をされていませんね。一度、法要をされてはいかがでしょう」

 と、切り出したところ、局長会で承認され、実施するに至ったという。

 国内の郵便物の数は2001年の263億通をピークに減少を続け、現在は177億通。パソコンの普及に伴うメールやSNSでのやりとりが増え、愛を伝えるラブレターや文通などは、ほぼ過去のものとなっている。現在、郵便物の多くは、明細書の類いやダイレクトメールなど商用目的のものがほとんどだろう。

 通信手段の劇的な変化は、迷子郵便を供養する意義をも失わせてきているのかもしれない。(ジャーナリスト・鵜飼秀徳)

※本稿は『ペットと葬式 日本人の供養心をさぐる』(朝日新書)から一部、コンテンツを抜粋し、再編集したものです