トヨタ創業者の米殿堂入り 章男社長が「継承者は挑戦者であるべき」と檄を飛ばす理由 (1/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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トヨタ創業者の米殿堂入り 章男社長が「継承者は挑戦者であるべき」と檄を飛ばす理由

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安井孝之dot.#仕事#企業#安井孝之

記念式典の壇上に掲げられたパネルには、豊田喜一郎の写真と当時のグループ企業で働いていた847人の名簿が載せられていた(トヨタ自動車提供)

記念式典の壇上に掲げられたパネルには、豊田喜一郎の写真と当時のグループ企業で働いていた847人の名簿が載せられていた(トヨタ自動車提供)

Gemba Lab代表 安井孝之(やすい・たかゆき)
/1957年生まれ。日経ビジネス記者を経て88年朝日新聞社に入社。東京、大阪の経済部で経済記事を書き、2005年に企業経営・経済政策担当の編集委員。17年に朝日新聞社を退職、Gemba Lab株式会社を設立。著書に『これからの優良企業』(PHP研究所)などがある(撮影/村田和聡)

Gemba Lab代表 安井孝之(やすい・たかゆき) /1957年生まれ。日経ビジネス記者を経て88年朝日新聞社に入社。東京、大阪の経済部で経済記事を書き、2005年に企業経営・経済政策担当の編集委員。17年に朝日新聞社を退職、Gemba Lab株式会社を設立。著書に『これからの優良企業』(PHP研究所)などがある(撮影/村田和聡)

 トヨタ自動車の創業者、豊田喜一郎(1894年~1952年)が7月に米国自動車殿堂に選出され、殿堂入りした。死後66年たっての殿堂入りで、81年前にトヨタを創業した起業家精神が米国でもようやく認められた。今の自動車業界は電動化、自動化といった「100年に一度の大変革」と言われる激動期だ。今の成功が10年後の成功を意味しない時代である。0から1をつくった創業者の起業家精神がよみがえるかどうかが、今のトヨタには求められているのだ。

 8月6日、愛知県豊田市は40度に迫る酷暑だった。豊田市トヨタ町1番地のトヨタ自動車事務本館ホールで喜一郎の米自動車殿堂入りの記念式典が、トヨタ役員やグループ企業のトップ、次世代を担う若手社員らの限られた参加者だけで開かれた。落ち着いた雰囲気の中で式典を開きたいという思いが込められていた。

 米デトロイトで開かれた授賞式に参加した内山田竹志会長は記念式典のあいさつで、殿堂関係者から喜一郎のことを「ミッシング・ピースだった」と伝えられたことを披露した。ヘンリー・フォード、カール・ベンツ、ウォルター・クライスラー、フェルディナント・ポルシェ、本田宗一郎ら日米欧の自動車会社の創業者が殿堂入りを果たしているのに、喜一郎がひとり残されていたからだ。

 トヨタの中でも5代目社長の豊田英二(1913年~2013年)は1994年に、豊田章一郎名誉会長は2007年に殿堂入りしている。英二、章一郎の両氏はGMとの合弁事業に始まる米国進出を果たし、世界トップを争う自動車会社に育てた功績が評価された。

「中興の祖」と言われる経営者はどの会社にもいるものだ。創業者が築いた基礎の上に事業を成長させていく経営者の力量はもちろん見事である。だが、0から1にした創業者と、1を10や100に育てた後継経営者とを同じ尺度で評価すべきではない。

 章一郎名誉会長は記念式典のあいさつで、「大財閥でも自動車は手に負えないとさじを投げたのに、豊田にできるのか?」「車に手を広げるのは無謀すぎる」と揶揄され、批判されながらも自動車産業に乗り出した父、喜一郎について、「父はひるまず挑戦いたしました」と語った。1930年代当時の日本は高品質の材料は手に入らず、加工技術も備わっていなかった。喜一郎の挑戦は日本に自動車産業を興したいという強い思いからの「蛮勇」だった。


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