思い返してみると、自分自身はハラスメントにあたるようなことが、当たり前のように行われる環境で育ってきた。「当たり前」どころか、プライベートに踏み込んだ質問や、過度な「いじり」をできる人間のほうが、何となく「おもしろい」とされ、人気者になるような、そんな雰囲気の中で暮らしてきた。特に男性社会の中では、そのような風潮が強いのではないかと思う。そういうことに嫌気がさすこともあったが、目の前の社会に適応することが何より重要だと思い込んでいた。目の前の「当たり前」に従わないことで、ノリの悪いやつ、空気の読めないやつにされるのが嫌だった。

 その意味では、#Me Tooを通じた訴えかけに対して、否定的な言葉を投げかけたり、あるいは「ネタ」として消費することで真剣に受け止めようとしなかったりする人々の気持ちが全く理解できないわけではない。これまで当たり前だと思っていた価値観が、目の前で崩れていくのだから、違和感が生じるのは、ある意味では当然かもしれない。

 しかしだからこそ、その違和感と向き合い、当事者から発せられた声にきちんと耳を傾けなければいけない、さらに言えば自らを省みなければいけないのだと言いたいと思う。過去に自分がどんな価値観を持って生きてきたのかは別にして、自分自身で本当はどうすべきなのか考えなければいけないのだと思う。人間は変わり得るものだと捉えれば、考え直すことによって自分の人生が全て否定されるわけではない。むしろポジティブな変化になるはずだ。

 考えてみると、社会が変わる、社会が良くなるというのは、これまでも既存の価値観が崩れ、新たに作り変えるということの繰り返しであったように思う。そうやって少しずつ、少しずつ、人権とか個人の尊厳とか、そういうものがより重んじられる社会へと変わってきたのではないだろうか。

 社会とはどこか遠くにある手に届かないものではなく、紛れもなく私たちひとりひとりが形作っているものだ。自分が変わることから、社会もまた間違いなく変わっていくのだ。そのために、自分の中にある違和感としっかりと向き合うところから始めなければいけないのではないのだと思う。

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諏訪原健

諏訪原健

諏訪原健(すわはら・たけし)/1992年、鹿児島県鹿屋市出身。筑波大学教育学類を経て、現在は筑波大学大学院人間総合科学研究科に在籍。専攻は教育社会学。2014年、SASPL(特定秘密保護法に反対する学生有志の会)に参加したことをきっかけに政治的な活動に関わるようになる。2015年にはSEALDsのメンバーとして活動した

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