3.テクノスーパーライナー(TSL)案


 TSLは運輸省(当時)の肝いりで1988年から開発が進んだ国家プロジェクトの超高速艇である。所要時間は16~17時間、定員740名で年間92往復(当時の定期船より30ほど増便)。保有・管理会社も運行会社も決定、2004年11月には進水式も終えてこのまま就航に至ると思っていた2005年11月、突然「就航中止」が決定する。
 原因は原油の高騰。もともと燃料費は東京都が一部負担をする予定だったが、予測を大幅に超え、年間30億円以上赤字が出ることが予想され支援を断念したのである。「スーパーライナーオガサワラ」と名前まで決まっていたこの船は一度も小笠原に行くことなく、現在解体中である。

4.父島・洲崎案へ
 TSLの中止以降、新しい空路も航路もほとんど話題に上らなくなる。しかし都では2005年、新たな空港候補地として父島の洲崎地区の名前を挙げた。洲崎は戦時中に日本軍の飛行場があった場所である。以前にもここに空港を新設する案はあったが、滑走路長が確保できないためしばらく進展はなかった。

 それが再浮上したのは2016年6月26日。「小笠原諸島世界自然遺産地域登録5周年記念イベント」の席上で、丸川珠代環境相(当時)が「空港建設に協力していく」と発言。そして冒頭の小池百合子都知事の発言があり、ふたたび小笠原の空港建設について注目が集り、現時点では「プロペラ機を想定し1200m級の滑走路を建設」という大枠が発表されている。

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 筆者は約30年間小笠原を取材し続け、兄島空港計画の時には島住民の「小笠原の航空路を考える会」、研究者の「小笠原自然環境研究会」と連携して空港の見直しを考える「小笠原ネイチャーフォーラム」という小笠原ファンを集めた団体を主宰していた。以下はその経験からの考察である。

 今までの経緯を振り返ると、肝心の村や住民はある意味蚊帳の外に置かれて進んできたことが分かる。事業主体は東京都だからである。島住民で空港そのものに反対している人はいないだろう。ただ、住民が希望するのは「生活路線」。現在も命に関わるような急病の際は自衛隊の水上飛行艇での搬送が行われているが、定期的な通院や本州にいる家族が危篤といった場合は定期船で上京するしかない。
「住民の足としての空路は欲しいが規模は小さくていい。島が大きく変わるような巨大空港はいらない」。多くの島の住民はそう考えている。これまでの計画は住民が考える規模とはかけ離れていた。

住民が考える規模とはかけ離れていた。小笠原には「世界でここだけ」にしかない貴重な自然という財産がある。現状の洲崎案でも海の埋め立て、山の掘削は避けられない。さらに付帯設備をどう配置するかなど課題は多い

 小笠原はどの島も面積が小さい。人間の利便性と独自の自然はすぐ隣り合わせにある。しかしだからこそ、小笠原にはこの世界で例のない「自然との共存」を実現できるポテンシャルもある。航空路であれ、それ以外の手段であれ、自然とともに生きる形を作るのは住民をおいてほかにない。

 島で生きる人びとがどのような未来を選択し、実現されるのか。これからも注視していきたい。(島ライター・有川美紀子)