大竹しのぶさん (c)朝日新聞社
大竹しのぶさん (c)朝日新聞社

「まあいいか」という言葉は不思議だ。あきらめたニュアンスがあって投げやりな感じにも聞こえるし、「なんとかなるさ」「ケセラセラ」というポジティブな印象を持つこともある。人によって、また時と場合によって、その言葉の持つ意味は変化するだろう。

 女優・大竹しのぶさんの初エッセイ集『まあいいか』(朝日新聞出版)は、朝日新聞に連載していた自身のコラムをまとめたものだ。「まあいいか」という言葉は、彼女の座右の銘だという。25歳で一度目の結婚をしたが、数年後に夫を病で失っている。その夫の座右の銘も、偶然にも「まあいいか」だった。

 収録されたエッセイの中に「24年生きて、丸もうけ」と題した回がある。IMALUと名付けるにあたって、母親と元夫の明石家さんまさんと3人で激論を交わしたエピソードが綴られたものだ。さんまさんの好きな「生きてるだけで丸もうけ」という言葉から取ったというエピソードはあまりに有名だが、散々揉めた挙句、家族の名前が「エステル、ニチカ、イマル」と日本人とは思えない名前であることに、みんなで大笑いした、と終わるこのエッセイからも、大竹しのぶさんの「まあいいか」魂を垣間見ることができる。

 女優というと別世界の人間と思いがちだが、このエッセイを読むと、職業が女優だというだけで、母であり、女性であり、ひとりの人間であることに変わりはないことに気付かされる。私たちと何ら変わらない日常の、喜びや悲しみも全て、「まあいいか」と受け入れるその姿に、心が暖まる。

 巻末のリリー・フランキーさんとの対談では、邪気がなさすぎると延々と突っ込まれる大竹しのぶさん。リリーさんの独特の返しにも一切動じることなく、驚くほどの包容力で相手の“思い”を吸収する姿は、一読の価値があるかもしれない。

 つらいことがあっても、腹の立つことがあっても、「まあいいか」と思えることの大切さを、大竹しのぶさんから学んだ。