一般的に、「たくさん本を読むべき」という考えが私たちの間には浸透している。ときに読書量を自慢する人もいれば、読んだ本の数が少ないことに劣等感を覚える人もいるかもしれない。もちろん本は読まないより読んだ方がよいだろう。ただ、果たして「多読」は無条件に歓迎すべきことなのか。

 『<問い>の読書術』(朝日新書)の著者、大澤真幸氏は、こうした“多読原理主義”に疑問を投げかける。

“本をたくさん読む必要はないが、本を深く読む必要はある”

 ありていに言えば、読書は量より質を重んじよ、という話だ。ただ漫然とたくさんの本を読むのではなく、深く本を読み込む方が、読み手にとって有益ということ。当然といえば当然の話かもしれない。ただ、深く本を読むとはどういうことだろうか。

 大澤氏はこう言う。

「読むことを通じて、あるいは読むことにおいて、世界への<問い>が開かれ、思考が触発される、ということである。本は情報を得るためだけに読むわけではない。そういう目的で読む本もあるかもしれないが、少なくとも、読書の中心的な悦びはそこにはない」(本書より)

 もちろん対象となる本は良書であることが望ましい。内容のない本を深く読んだところで、それは時間の無駄になるかもしれない。大澤氏は本書の中で、「よい本は、解答ではなく<問い>を与えてくれる」と語る一方、「本の中に眠る<問い>という鉱脈を発見するのが上手な人と下手な人がいる」とも述べている。つまり、良書であっても、そこに提示される<問い>に気づかずに読み進めてしまう人もいるというのだ。

「ときどき、私が興奮して読んだ本を、めちゃくちゃにけなす文章をネットで読むことがある。そんなときに、私は、とても気の毒に思うのである。この人は、本を入手し、そうとうな時間をかけて読書したはずなのに、まったく鉱脈に気づかなかったのだな、と」(本書より)

 本書は、朝日新聞ウェブ版の「ブック・アサヒ・コム」の中にある書評コーナー「本の達人」より、著者の大澤氏に<問い>を与えた本のレビューを集めたもの。昨年大ヒットしたドラマ「半沢直樹」の原作『オレたちバブル入行組』や第36回日本アカデミー賞の最優秀作品賞にも選ばれた青春小説『桐島、部活やめるってよ』等、著者が勧める本25冊を<問い>という鉱脈を見つけつつ紹介し、社会を読み解くための思考法を提案している。

「読書は恋愛に似たところがある。誰かを愛し、その人に愛されていると実感することは、人生の中で最も幸福な瞬間である」

 本書のあとがきで、大澤氏は読書と恋愛の相似性を指摘し、こう続ける。

「もちろんすべての本に感動するわけでも、興奮するわけでもない。つまらない本、すぐに棄ててもかまわないと思う本の方が多いだろう。しかし、まちがいなく、いくつかの本に関しては、それを読むことには、特別な悦びがある。その本を自分は愛していると思うと同時に、本に愛されているとすら感じることがある。そのような読書の快楽を一度も経験したことはない人がいるとすれば、その人は恋愛の経験がない人と同じくらい、やはり人生の最もよき部分に無縁だと言わざるをえない」

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