誰だって人にとって耳障りなことは言いたくないし、波風を立てずに過ごせるならそうしたいと願うものです。ポピュリズム政治は国民の声に寄り添っていればいいだけなのですが、そうしているといつの間にかやすきに流れついた結果、国家は弱体化し破滅の道をたどるのは、ローマ帝国の滅亡のように歴史が証明しています。

 だからこそ、安倍元首相がおっしゃる「国民の半分を敵に回して議論を巻き起こし、道を切り開く」ということは大変厳しいことであり、つらいことです。よほどの覚悟がないとそれはできないでしょう。「その先に国民の幸せがある」という強い信念がないとできないことでしょう。私はそんなすごみを感じたのです。

 その昔、大学生の頃に父と政治談議をしていたときのことを思い出しました。「今の政治家で、命を懸けて国を変えてやろうという気概を持っている人はいるのだろうか」と父は言っていました。父と政治談議をしたことは後にも先にもその一度きりでしたが、父のその言葉が妙に胸に残りました。

 それから約10年後に私が国会議員になりましたが、そうした迫力を感じる政治家は数える程しかいませんでした。自分の選挙のことしか考えない議員、いかに金を集めるのかに腐心する議員を見るとがくぜんとしたことを覚えています。

 ただ、多くの議員は志をもっていて天下国家のために働くという思いをもっていることは感じられました。しかし、「命を懸けてでも」という気迫を感じた政治家はあまりいませんでした。数少ない気迫を感じたうちの一人が安倍元首相です。

近年の政治への不満を
安倍元首相に負わせる風潮

 近年は減りましたが、昭和の時代には何度も起きた政治家への襲撃。一歩判断を間違えれば撃たれる、刺されるということは珍しくなかったとベテラン議員からきいたもので、今は平和な世の中になったものだとのんきなことも聞いたことがあります。

 平和になったから政治家が変わってしまったのかはわかりませんが、命を狙われるほどのリスクを背負ってまで戦う政治家の姿は見えなくなりました。また次第に、政治家は世の中からたたかれても良い存在のようになり、ネット上では政治家に対する罵詈(ばり)雑言があふれるようになりました。

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安倍元首相を撃った男は一人だが、そこまでの空気を作ったのは