たとえば自動車というテクノロジーの発明は、「人は移動に自動車を使うようになる」という「不可避」な流れを生んだ。その新たな流れが、当時の人々の生活や社会を一変させた。

 しかし、生産される個々の車や、そこから派生した新たなライフスタイルやビジネスのかたちは、すべて必ずしも「不可避」なものではない。さまざまな可能性による多様な選択肢の中から、われわれが選んできたものだ。

 自動車の発明により馬車が廃れ、御者や馬具作りの仕事はなくなった。この流れは不可避だった。馬具メーカーだったエルメスは、この不可避な流れを捉えた。そして人が自動車を使うようになるプロセスの先に、長距離旅行が流行ることを予測。その予測をもとに、旅行用の鞄や財布などの皮革製品に事業の軸足を移して大成功した。この事業転換による成功は不可避なものではなかった。エルメスの優れた視点があってこそのものだった。

 ケリー氏は、テクノロジー進化による「プロセス」にこそ意味があると説明する。自動車の発明は、人間に長距離を楽に移動するプロセスを可能にした。その新しい「力」を放棄する理由があるだろうか。その変化を受け入れることが、人類を進化に向かわせる「力」となったのだ。

 デジタルテクノロジーがもたらす「力」の変化はどこに向かっているのだろう。ケリー氏は、インターネットやAIをはじめとするデジタルテクノロジーが可能にする12のプロセス(=「力」)を列挙し、今後どのような変化が「不可避」で、そこからどんな未来が生じるのか、多様な可能性を提示してくれている。

●われわれはいつかAIに支配されてしまうのか?

 ケリー氏が挙げた12のプロセスには、「ビカミング(永続的なアップグレードで何かになっていく)」、「コグニファイング(あらゆるものを認知化する)」、「アクセシング(物を所有せず、サービスを利用するようになる)」、「リミクシング(コンテンツをパーツに分解して新たに組み合わせなおす)」、「トラッキング(自分のあらゆる面を数値化し記録する)」などがある。これらはデジタルテクノロジーの傾向をさまざまな側面から捉えたものだ。

 冒頭に挙げた2つの例は、この12のプロセスのうち、「トラッキング」や「コグニファイング」にあたる。

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