第6回 「もう3カ月早く」はないものねだりか 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

AERA dot.

第6回 「もう3カ月早く」はないものねだりか

文・堺屋太一

プロフィール  バックナンバー

このエントリーをはてなブックマークに追加

 1945(昭和20)年8月15日、大日本帝国はポツダム宣言を受諾して無条件降伏した。その時は「なぜ降伏など」と口惜しがる人も多かったが、やがて「どうせ降伏するのなら、もう3カ月早くすればよかったのに」と恨む声も出て来た。

 確かに、もう3カ月早く、ナチス・ドイツが降伏した直後の5月初旬にでも降伏していれば、戦争被害ははるかに少なくて済んだだろう。

 広島・長崎への原爆投下はなかったし、ソ連の参戦による「満州移住者」の抑留などもなかった。多くの都市は戦災を免れたし、沖縄での戦闘も決定的な悲劇にはならなかったはずである。

 しかし、降伏当時の政治情勢から見て、それを望むのは「ないものねだり」というものだ。走り出した基本政策は、絶望的な上にも絶望的にならなければ変えられない。

 戦後明らかにされた降伏決定過程を見ると、閣議も最高戦争指導会議も決定できず、天皇臨席の御前会議ですら議は割れた。降伏の賛否はなお伯仲していたという。

 その結果、最終決定は絶対的権威を持つ天皇に委ねられたが、この構図は日本の「第一の敗戦」ともいうべき「幕末の動乱」とも似ている。徳川幕藩体制の幕引きを決定したのは「最後の将軍」徳川慶喜自身だった。この際も、徳川幕府の閣僚である老中たちは何の役にも立っていない。能吏の勘定奉行小栗忠順は徹底抗戦論だった。

 国家の基本政策を変更するには、まず倫理の変更が不可欠だ。何が正義か、何が美しいかを問い直す必要がある。2010年代の今、日本はまた国家基本政策の大転換を求められている。そのためにはこの度も、倫理の変更が必要だ。その大業を、この度はどのような形で実現するのだろうか。

(週刊朝日2014年9月5日号「堺屋太一が見た戦後ニッポン70年」連載6に連動)


(更新 2014/8/26 )


バックナンバー

コラム一覧

続きを読む

プロフィール

堺屋太一(さかいや・たいち)

 1935年生まれ。本名は池口小太郎。60年に通商産業省に入省し、大阪万博をプロデュース。退官後は作家・経済評論家として活躍。経済企画庁長官を務め、現在は内閣官房参与。主な著書に『団塊の世代』(文春文庫)、『平成三十年』(朝日文庫)など

おすすめの記事おすすめの記事
関連記事関連記事
あわせて読みたい あわせて読みたい