クエラップ  クエラップ遺跡の城壁から東南方面のウトゥクバンバ渓谷を眺める
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レイメバンバ  ビールとフォルクローレで悩み事を忘れた夕べ
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セレンディン  市場の肉屋。おじさんが被っている山高麦わら帽は、この辺の伝統
セレンディン  市場の肉屋。おじさんが被っている山高麦わら帽は、この辺の伝統

 昨年の10月、エクアドルから敢えて海沿いの幹線道路ではなく山あいの細道に沿って行き、国境の小さな川にかかる橋を徒歩で渡って、ペルー北部に入った。この辺りは首都リマから離れ、山道も険しい。しかし、インカ以前から独自の文化が栄え、高山に建設された要塞が遺跡として静かに座し、その周辺の断崖絶壁にはモアイ像に似た人型の棺が安置されていて、大変神秘的だ。また、最後のインカ皇帝も愛用していた温泉が、今でも使われているという。それらの古代遺跡を訪ねてみようと思い、急峻な山間を地元の人たちと一緒におんぼろバスに揺られて移動し、途中の村に滞在した。

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 その中でも、北のマチュピチュと呼ばれるクエラップ要塞は立派だった。標高三千メートルと、その辺りで一番高い山のテーブル状の山頂にそそり立っている。高さ20メートルにも達する城壁からの見晴しは、壮観だった。その興奮が覚めやらぬまま、次の村に滞在した時のことだ。いつものように、バスを降りて、運転手に教えてもらった手頃な宿を尋ねあて、荷物を置いて一息ついたところで夕飯を食べに宿を出た。すると、暗い通りの向こうの店から、こぼれ出る明かりとともにアンデス民謡を歌う麗しい男性の声が聞こえてくる。あまりの美しさに、立ち止まって聞き惚れてしまった。その声に誘われるように店内を覗くと、何とお菓子屋で、黒や紺の服を着た三人の男たちが、小さなテーブルを囲んで歌っていた。その中でギターを弾き語っているのが、良く通る美声の主だった。男たちが、ビール瓶を前に明るいメロディーに没入している様子が、いかにも一日の仕事の後、日々の辛さや生活の憂さを美しい歌で晴らしているようだ。思わずテーブルに近づいていくと、空いている椅子を勧められたので、私も座って口ずさみ始めた。歌詞が分からなくとも、優しいメロディーのフォルクローレは、とても馴染み易い。すると、店のおばあちゃんも奥から出て来て歌い出し、ついには全員で手拍子つけて、歌声喫茶さながらの合唱の宴となった。
 
 ひとしきり歌ったところで、麗わし声の男がギターを置き、みんなで話を始めた。三人は友人で、よくこのように飲んで歌って、夜を過ごしているそうだ。ギターの男は教師だった。真ん中の男は数軒先の肉屋で、車の修理や奥さんの病気お金に苦心していると、とつとつと語った。左の若い男は、私にビールを勧めた後、携帯電話で珍客の私を撮っては嬉しそうに眺めている。そのうち、また皆で歌い出した。私も一曲つきあわせてもらった後、手を振って店を出た。彼らの歌声は、一人でとる夕飯のかわりに、その晩私の心を一杯にしてくれた。

 翌日、次の町に移動する前に向かいの肉屋を覗いてみた。話の通り、昨晩真ん中で歌っていた男が同じジャケットを着たまま、窓もない小さな店内で、客の村人を相手に台の上に並べた肉を量り売りしていた。
 
 次の町では、早朝の市場で写真を撮っている私を見かけたおばちゃんが、ニコニコと声をかけてきて、知り合いの屋台に私を連れて行って朝食の揚げパンをおごってくれた。遺跡を訪ね歩く先々で、そのような触れ合いがあった。観光客の外人が訪れることもあまりない奥地だからか、人々は随分と親切で人懐っこかった。出会った人たちの中には、今でもインターネットでつながっている若者もいて、地球の裏側に住む私が、まるで目の前にいるかのようにその時の気持ちをぶつけてくる。彼女たちの馴れ馴れしさに始めは戸惑ったが、歌の輪に入れてくれた村人たちと同様に、通りすがりの外国人の私を心の通う同じ人間と認めてくれているのだと思うと、自分の警戒心が恥ずかしくもある。バスの窓から見下ろせば足元は断崖絶壁という辺境の地で、神秘的な古代遺跡に見守られる彼らの暮らしは、私たちの生活とは習慣や事情も異なる上に、貧しく不便だ。しかし、日々の気持ちを交わす間柄に国境や格差は無く、むしろ彼らの方が自然な人間なのではと考えさせられることも多かった。何だか地球が狭くなったようで、お互いを身近に意識する時代なのだと、実感させられた。