阿佐ヶ谷スパイダースの『アンチクロックワイズ・ワンダーランド』を観てきました。
 作・演出の長塚圭史くんは、一年間、文化庁の新進芸術家海外留学制度でイギリスに留学していました。今回の公演が帰国第一作になります。
 
 彼の作品は、わりと連続して観ているはずです。
『ラストショー』や『悪魔の唄』は、好きな作品でした。
 ただ、この何作かは、少し方向性を模索しているのかなと感じました。
 若手の中では物語性の強い作品を書くタイプだと思っていたのですが、渡英前の『失われた時間を求めて』は、それまでとガラリと作風を変えた不条理劇だったのです。
 だから、このタイミングで日本を離れて海外に行くのは、ちょうどいいのではないかと思っていました。
 一年間、イギリスで演劇のことだけを勉強するのは、自分自身の見直しにも、気分転換にもなるだろう。
 戻ってきてどんな芝居を見せてくれるのか、楽しみでした。

 その『アンチクロックワイズ・ワンダーランド』ですが、改めて真っ向から不条理演劇に挑んだ作品でした。
 時間軸と空間軸をシャッフルし、登場人物の感情も状況も一本筋では追えない。主人公の問題を提示し、ある程度の展開はあるが明確な解決もしない。
 それまでのファンも戸惑ったようで、賛否両論。僕の皮膚感覚では、否の方が多い感じです。
 でも、多分、長塚君はそれも覚悟の上で、この作品を発表したんだろうなと思います。
「わかりやすい物語」に逃げ込むことなく、「わからないこと」で、簡単な言葉では表現できない何かを舞台の上に表出する。それもまた演劇です。
 予想外だったのが、この作品を観た感想に「脚本が未完成」とか「頭でっかち」とかいう批判が出ていることです。
 いや、これはこういうものなんだよ。「わからないこと」を提示することで、今と向き合う手法もあるんだよ、などと言いたくなります。
 
 僕がやりはじめた当時の高校演劇は、別役実の『マッチ売りの少女』とか清水邦夫の『ぼくらは生まれ変わった木の葉のように』とか安部公房の『友達』とかの不条理演劇が中心でした。
 だから、むしろ演劇と言えば不条理だろうという気持ちになる。
 僕はそういうのに反撥して「マンガや映画のようにわかりやすい芝居を、高校生がやってもいいはずだ」と思い、自分で書き始めたし、今でもその気持ちは変わっていません。
 でも、そういう人間ばかりじゃつまらない。
 テレビや映画、音楽など、大ヒットを飛ばせば大きなお金が動く他の娯楽と違い、演劇は金儲けには効率の悪いジャンルです。観に来るお客さんの数も限界があるし、生でやる分人件費もかかる。
 でも、その分、自由がある。
 観たい人が切符を買う。それ以外のしがらみはない。
 確かに、今回のような不条理演劇を続けると、お客さんは限られるでしょう。でも、結局、演劇って自分が信じることをやり続ける方が強いのだと思います。

 長塚君自身、「こんな不確かな世の中だからこそ、演劇ほど確かなメディアはない」と言っていると、今回の公演パンフレットで、彼の長年のパートナー、プロデューサーの伊藤達哉くんが語っています。

 今回の公演は、長塚君の決意表明なのだろうと思います。この先、同様の不条理演劇的な表現を積み重ねていくのか、それともまた物語に戻ってくるのか、どうなるかはわかりませんが、彼の決意のその先を楽しみにしたいと思います。