ベトナム レー・ティー・ハイ(80歳)は解放軍兵士の夫と3人の息子、2人の孫を戦闘で失った。(ベンチェ省、1982年)
カンボジア ポルポト政権の抑圧から解放されたものの、成人は年齢よりも老け、子どもは成長がおそくて身体が小さい。(バッタンバン州、1980年)
スーダン ダラサラーム(15歳)はダルフールから逃げてきた。「1週間後に結婚しなければならないの」と暗い表情でぽつりと言った。(チャド、2006年)
コソボ 中央の少女ベサルタ(12歳)の一家20人はセルビア軍に自宅を攻撃され、彼女だけが生き残った。学友に囲まれて「勉強に精を出さなければ」(コソボ、2000年)
ポーランド クオジンスキ医師は政治犯としてアウシュヴィッツに収監。医学生だったためにチフス病棟に送られた。戦後も「強制収容所症候群」に悩む。(クラコフ、1988年)
長崎 宮原マサ子(1923年生)は爆心地から1.5キロで被爆して顔などに大怪我をしたため結婚は諦めて家を守ってきた。(長崎、2017年)