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- 写真・図版 (49枚目)| 愛子さまいよいよ能登半島へ 「皇后が表舞台で活躍する」歴史を作った「日赤」で内親王が皇室を変える
愛子さまいよいよ能登半島へ 「皇后が表舞台で活躍する」歴史を作った「日赤」で内親王が皇室を変える
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23歳の誕生日を前にした愛子さま。テーブルの上には24年10月に訪問した佐賀県で、自ら手すきした和紙が置いてある=2024年11月22日午後、皇居・御所、宮内庁提供
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鳳凰の羽と桐・竹の意匠に包まれた赤十字の社章(社紋)。この社紋は、功労者を表彰する記章「有功章」や「社員章」にも刻まれている=日本赤十字社公式ウェブサイトより
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明治天皇の妻の「美子(はるこ)皇后」(昭憲皇太后)は、御簾の奥から表に出て活躍した女性皇族として知られる。顔の上に輝くのは、現在、皇后雅子さまの手元にある皇后の第一ティアラ
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年に一度開催される全国赤十字大会において、名誉総裁を務める皇后雅子さまと名誉副総裁を務める妃殿下方の胸元には日赤の記章がつけられている=2024年5月15日、明治神宮会館、JMPA
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年に一度開催される全国赤十字大会において名誉総裁を務める皇后雅子さまの左胸には、日赤の記章がつけられている=2024年5月15日、明治神宮会館、JMPA
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日赤への入社を翌春にひかえ22歳の誕生日に公開された愛子さまの写真。赤と白の装いは、「日赤カラーを意識されたのでは」と話題になった=2023年11月、書陵部庁舎、宮内庁提供
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広報課に所属する愛子さまが編集などを手掛けたとみられる日赤のボランティア情報誌『RCV] =日本赤十字社公式ウェブサイトより
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春の園遊会に出席し、「松山テント」周辺で招待者交流する愛子さま。緊張のあまり声が出ない招待客には「食事はいかがでしたか」などと声をかけ、話題を広げていったという=2025年4月22日午後2時26分、東京・元赤坂の赤坂御苑、JMPA
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日赤への入社を翌春にひかえ22歳の誕生日に公開された愛子さまの写真。美しい深紅と白の装いは、「日赤カラーを意識されたのでは」と話題になった=2023年11月、書陵部庁舎、宮内庁提供
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日赤への入社を翌春にひかえ22歳の誕生日に公開された愛子さまの写真。美しい深紅と白の装いは、「日赤カラーを意識されたのでは」と話題になった=2023年11月、書陵部庁舎、宮内庁提供
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日赤への入社を翌春にひかえ22歳の誕生日に公開された愛子さまの写真。美しい深紅と白の装いは、「日赤カラーを意識されたのでは」と話題になった=2023年11月、書陵部庁舎、宮内庁提供
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日赤への入社を翌春にひかえ22歳の誕生日に公開された愛子さまの写真。美しい深紅と白の装いは、「日赤カラーを意識されたのでは」と話題になった=2023年11月、書陵部庁舎、宮内庁提供
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愛子さまが23歳の誕生日を迎えるにあたり、宮内庁が写真を公開。机には、初めてのおひとりでの地方公務に臨んだ佐賀出身の偉人を紹介した『佐賀偉人伝』と、愛子さま自ら手すき体験をした2枚の名尾和紙が見える=2024年11月22日、皇居、宮内庁提供
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佐賀県立佐賀城本丸歴史館に到着した愛子さま。「鯱の門」の弾痕についても「どちらの弾ですか。政府軍ですか」と熱心に質問=2024年10月11日、佐賀市
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吉野ケ里遺跡の説明を受ける東宮時代の天皇陛下と雅子さま=1996年7月、佐賀県
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愛子さまが23歳の誕生日を迎えるにあたり、宮内庁が写真を公開。愛子さまが手に取っているのは佐賀の伝統的な名尾和紙。机には、初めてのおひとりでの地方公務に臨んだ佐賀出身の偉人を紹介した『佐賀偉人伝』と愛子さま自ら手すき体験をした2枚の名尾和紙が見える=2024年11月22日午後、皇居、宮内庁提供
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日赤への初出社となった日の朝、ご両親に「頑張って行ってらっしゃい」と送り出された愛子さま。イヤリングもネックレスもつけず、メイクも控えめ。装いから強い意志を感じるとファッションの専門家=2024年4月1日、東京都
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日赤への初出社となった日の朝、ご両親に「頑張って行ってらっしゃい」と送り出された愛子さま。建物から姿を現したその歩幅は広く、若々しさを感じる立ち振る舞い=2024年4月1日、東京都の日赤本社
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日赤の入社式で初出社した愛子さま。ご両親に「頑張って行ってらっしゃい」と送り出された=2024年4月2日、東京都の日赤本社
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大阪・関西万博会場の「EARTH MART」に到着した天皇、皇后両陛下の長女愛子さま=2025年5月9日午後3時28分、大阪市此花区
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大阪・関西万博会場の「EARTH MART」に到着した愛子さま。水色のパンツスーツスタイルは、「母の雅子さまにそっくり」との声も=2025年5月9日午後3時28分、大阪市此花区
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大阪・関西万博のEXPOアリーナで、並んだだんじりを前に吉村洋文・大阪府知事から説明を受ける愛子さま。パンツスーツ姿が、母の雅子さまそっくり=2025年5月9日午前10時10分、大阪市此花区
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大阪・関西万博のEXPOアリーナで、並んだだんじりを前に吉村洋文・大阪府知事から説明を受ける天皇、皇后両陛下の長女愛子さま=2025年5月9日午前10時10分、大阪市此花区
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大阪・関西万博会場の「EARTH MART」に到着し、出迎えを受ける天皇、皇后両陛下の長女愛子さま=2025年5月9日午後3時28分、大阪市此花区
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大阪・関西万博会場の日本館に到着し、出迎えを受ける天皇、皇后両陛下の長女愛子さま=2025年5月8日午後2時、大阪市此花区
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大阪・関西万博会場の日本館に到着し、出迎えを受ける愛子さま。白いスーツがお似合い=2025年5月8日午後2時、大阪市此花区
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19歳の夏に浩宮さま(現・天皇陛下)は、初めておひとりで公式行事に出席し、北海道スポーツ少年大会開会式で初の「おことば」を述べられた=1979年8月、北海道・洞爺湖畔
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24年5月に岡山県を訪問した雅子さま。真珠のステーションネックレスは、愛子さまも大阪・関西万博ご訪問時につけていたが、皇后さまは大粒で存在感のあるジュエリー=2024年5月26日、岡山県、JMPA
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第23回世界災害救急医学会で初となる「おことば」を、落ち着いた口調で述べる愛子さま=2025年5月3日午前9時14分、東京都新宿区
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第23回世界災害救急医学会に出席した愛子さまの左胸には、「ミキモト」オンラインショップで29万8千100円で販売されていた品と同じとみられるブローチが輝いていた=2025年5月3日午前9時14分、東京都新宿区
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「ミキモト」オンラインショップで29万8千100円で販売されていたブローチ。愛子さまは同じ品とみられるブローチを、24年3月の神武天皇陵(奈良県)、同年4月の武蔵野陵の参拝と23年5月に天皇陛下との雅楽鑑賞でも着用=「ミキモト」公式ウェブサイトより
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大学卒業と日本赤十字社への就職を報告するために4月25日に昭和天皇の武蔵野陵と香淳皇后の武蔵野東陵を参拝された愛子さま。左胸には、「ミキモト」とみられる11粒の真珠のブローチを着用=24年4月、東京都八王子市
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大学卒業と日本赤十字社への就職を報告するために4月25日に昭和天皇の武蔵野陵と香淳皇后の武蔵野東陵を参拝された愛子さまがお使いの「ミキモト」とみられる11粒の真珠のブローチ=24年4月、東京都八王子市
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神武天皇山陵参拝のため、近鉄大和八木駅に到着した愛子さま。移動時のスーツに合わせたのは、リボンのデザインに5粒の真珠をあしらった可愛らしいデザインのブローチ=24年3月、奈良県橿原市
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神武天皇山陵参拝のため、近鉄大和八木駅に到着した愛子さまが移動時のスーツに合わせたのは、リボンのデザインに5粒の真珠をあしらった可愛らしいデザインのブローチ=24年3月、奈良県橿原市
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皇后雅子さまが61歳の誕生日を前に。白いジャケットの襟は着物の衿元を思わせるデザインで、愛子さまが大阪・関西万博で着用された白いスーツとも似ている=2024年11月27日午後、御所、宮内庁提供
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皇后雅子さまが61歳の誕生日を前に。白いジャケットの襟は着物の衿元を思わせるデザインで、愛子さまが大阪・関西万博で着用された白いスーツとも似ている=2024年11月27日午後、御所、宮内庁提供
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雅子さまの定番であるスタイリッシュなパンツスーツ・スタイル。天皇ご一家と過ごす愛犬、由莉のバンダナは、梅干しやシソ、ゴマのおにぎりのイラストが描かれたユーモアたっぷりの柄だ=2019年8月、栃木県那須町、JMPA
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オーストラリア・ニュージーランド訪問の旅。シドニーのタロンガ動物園で、しゃがみ込んでワラビーの説明を受ける皇太子さま(当時)と雅子さま。ベージュのパンツに合わせたゴールドのジュエリーがアクセントに=2002年12月、シドニー、JMPA
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ニュージーランド・オークランドのスターシップ小児病院のホールを訪れ、記念の額を贈られた皇太子さま(当時)と雅子さま。ショートカットにパンツスタイルがお似合い=2002年12月、ニュージーランド、JMPA
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ニュージーランド・オークランドのスターシップ小児病院を皇太子さま(当時)と訪問した雅子さま。紺色のバッグに白いラインがアクセント=2002年12月、ニュージーランド、JMPA
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東京ディズニーシーを訪れたご一家。愛子さまをしっかりと抱きしめる雅子さま。茶系のパンツスタイルにブーツがアクティブな雰囲気=2006年、千葉県浦安市、代表撮影/JMPA
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那須でのご静養。雅子さまは涼しげでシャープな白いスーツ。愛子さまは、定番の「白襟」と「白ソックス」「丸いストラップ靴」のクラシカルな装い=2008年8月、栃木県、JMPA
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ご静養のため那須塩原駅に到着したご一家。雅子さまは濃い色のパンツと小物に白のジャケットをさらりと羽織るシンプルな装い。「白襟」にふんわりとしたパフスリーブ、白ソックスとサンダルが清楚な雰囲気=2011年、栃木県、JMPA
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紀子さまの58歳の誕生日お祝いのあいさつのため、赤坂御用地に入る愛子さま。3石のダイヤと真珠が揺れるイヤリングとゴールドと真珠のブローチが華やか=2024年9月11日午前9時55分、東京都港区
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明治神宮を参拝する愛子さま。「ミキモト」の品とみられる11粒の真珠があしわられたブローチ。3月の神武天皇陵(奈良県)や、4月に昭和天皇の武蔵野陵参拝でも着用されていた=4月10日、東京・明治神宮
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佐賀県を訪問した愛子さま。紺ジャケットのマリンボタンとバスクシャツの「大人のマリンスタイル」に合わせたのは、白鳥の羽をモチーフにした銀のブローチ。「ミキモト」が販売する6万4千900円の品とみられる=2024年10月12日午後3時、佐賀市大和町
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愛子さまが着用していた品と同じデザインのブローチ。「ミキモト」のオンラインショップで6万4千900円で販売されたいたが現在品切れで入荷未定と表示中=「ミキモト」公式ウェブサイトより
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秋篠宮さま58歳のお誕生日に際し、お祝いのあいさつに向かう愛子さま。ヘットドレスは水色のカメリア(椿)の花飾り、イヤリングもさくらの花をモチーフに真珠とダイヤがあしらわれたデザイン=2023年11月、東京都内
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23年10月、美智子さま89歳の誕生日のお祝いのあいさつに向かう愛子さま。胸には、金と真珠の豪華なブローチ。2つの真珠をメレダイヤでつなげた雪だるまのようにコロンと愛らしいイヤリングは、「WAKO」のオンラインショップで、44万円で販売されている品とよく似たデザイン。=2023年10月、東京・半蔵門
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上皇さま90歳の卒寿のお誕生日には青い石のついたブローチと、同年の美智子さまの89歳のお誕生日のときと同じ、雪だるまのようにコロンとした形の2粒の真珠をダイヤでつなげたイヤリングを着用=2023年12月23日、読者の阿部満幹さん提供
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成年皇族として初めて記者会見に臨んだ愛子さま。イヤリングは大人しいデザインだが、繊細な透かし彫りに真珠をあしらった存在感のあるブローチが左胸に輝く=22年3月、皇居・御所「大広間」
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成年皇族として初めて記者会見に臨んだ愛子さまの左胸に輝く、繊細な透かし彫りに真珠をあしらった存在感のあるブローチ=22年3月、皇居・御所「大広間」
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愛子さまが、23年の秋篠宮さまのお誕生日のあいさつで着用されていた花のデザインのイヤリング。「ミキモト」で25万3千円で販売されていた桜の花のイヤリングと同じ品とみられる=23年11月、都内
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「ミキモト」オンラインショップで25万3千円で販売されていた桜の花のイヤリング。愛子さまは同じ品とみられるイヤリングを23年の秋篠宮さまのお誕生日のあいさつでも着用=「ミキモト」公式ウェブサイトより
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秋篠宮さま58歳のお誕生日に際しあいさつに向かう愛子さまの左胸には、スッと斜めに流れるブローチが光る。王道のデザインだが、遠目からも美しい=23年11月、都内
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天皇陛下64歳の一般参賀で手を振る愛子さま。イヤリングは、2粒の真珠をダイヤでつなげたデザイン。真珠の花束のようなブローチも美しい=2024月2月23日、皇居・宮殿東庭(写真映像部・松永卓也)
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「WAKO」のオンラインショップで44万円で販売されている2粒の真珠と12石のメレダイヤのイヤリング。愛子さまは、同じ品とみられるイヤリングを23年の上皇ご夫妻のそれぞれのお誕生日のあいさつで着用=「WAKO」公式ウェブサイトより
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愛子さまが初めて臨んだ春の園遊会。真珠とダイヤのイヤリングがさくら色のスーツに品よく調和している=2024年4月23日、東京・元赤坂の赤坂御苑、松永卓也撮影(朝日新聞出版/JMPA)
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春の園遊会に臨んだ愛子さま。小粒の真珠を編み込んだデザインのネックレスがよくお似合い=4月23日、東京・元赤坂の赤坂御苑、JMPA
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紀子さまの58歳の誕生日お祝いのあいさつに向かう愛子さま。3石のダイヤと真珠が揺れるイヤリングが華やか=2024年9月11日午前9時55分、東京都港区
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紀子さまの58歳の誕生日お祝いのあいさつに向かう愛子さまが着用していたゴールドと真珠のブローチ=2024年9月11日午前9時55分、東京都港区
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