研究本部が転居してもう30年余りたつ。鎌倉市へ寄付したが、4階建ての横長のまま緑の中に残っている。自分がいた「機械部屋」もどこかすぐに分かる(撮影/山中蔵人)
台北で始めた「赤ペン先生」(写真:本人提供)