1カ月続いた祇園祭が7月31日に終わり、京都の三大祭りも10月の時代祭を残すだけとなった。
三大祭りの中でも1000年を超える歴史を誇る葵祭と祇園祭。そこで大役を務めるのが葵祭の斎王代、祇園祭のお稚児さんだ。
葵祭の“ヒロイン”斎王代は、平安朝の装束をまとった500人が連なる行列に十二単姿で輿に乗る未婚女性。お稚児さんは祇園祭のハイライト、山鉾巡業で出発の合図となる“しめ縄切り”をする10歳前後の少年だ。
ともに一般公募ではなく、斎王代は葵祭行列保存会が、お稚児さんは長刀鉾保存会が選ぶ。
いちげんさんお断り的な斎王代とお稚児さん、検索すると関連ワードで上がってくるのが「費用」に「お金持ち」。さらには「家柄」や「お坊ちゃん」なんていうものまで。
どちらも決定するとニュースでは「京都市△△区在住、○○社長の長女」や「○○専務の次男」と、個人情報保護がやかましい風潮を逆流するように伝えられる。◯○にはよく知られた名前が入るため、やんごとなき家の子女が選ばれるものという了解が自然と出来上がる。
京都の歴史や観光にも詳しい同志社女子大学現代社会学部の天野太郎教授は、お稚児さん選びには祇園祭の成り立ちが深く関係していると話す。
「祇園祭はもともと祇園御霊会と呼ばれ、疫病や非業の死を遂げた人の怨霊を鎮める祭である御霊会でした。869年に京都で疫病が流行すると“たたり”として、これを鎮めるために神輿を担ぎ、鉾を立てて神泉苑(平安京にあった庭園)に向いました。これが山鉾巡行の始まりとされます。祇園祭は町内に病人が出ないよう、町ごとに自分たちの鉾を立てて練り歩く町人の祭なんですね。だから、お稚児さんも行政ではなく町人・町衆が話し合って決める。町人が支えてきた歴史があり、お稚児さんはそこの代表。町に関係していない人は選ばれにくい」
お稚児さんは神様のお使いとされ、期間中は様々な制限が加わる。例えば日常生活では女性と関わってはならず、食事などの身の回りの世話は父親の仕事になる。公の場で地面に足をつけるのも御法度で、強力と呼ばれる男性に担がれて移動する。行事も多く、学校は公欠になるそう。日々の儀式の合間に舞などの練習もあり、まわりのサポートと理解は不可欠だが、それができる家はそう多くないはず。お稚児さんを父と息子の2代、兄と弟で務めるケースが珍しくないのもここに理由がありそうだ。