中日での復活を期す松坂大輔(c)朝日新聞社
中日での復活を期す松坂大輔(c)朝日新聞社
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 今年のキャンプで最も注目を集めている選手と言えば、松坂大輔(中日)になるかもしれない。過去5年間の低迷から観客動員に苦しんでいる中日キャンプには多くのファンが詰めかけ、スポーツ紙でも連日のように松坂の動きが報じられている。日本球界復帰後の成績を見れば鮮やかな復活劇を期待するのは難しそうだが、それでもここまでファンの心をつかむのには理由がある。それはこれまで松坂が野球界のあらゆる常識を打ち破ってきたからに他ならない。そこで改めて松坂が変えたものを振り返ってみたいと思う。

 松坂と言えばまず思い出されるのが横浜高校時代の甲子園での活躍だ。春夏連覇、延長17回の死闘、決勝戦でのノーヒット・ノーランなど多くの伝説を残したが、その後の高校野球に最も影響を与えた点はやはりそのスピードだろう。松坂はセンバツで150キロ、夏の選手権で151キロ、秋の国体では153キロをマークしているが、過去にここまでコンスタントに150キロを超える高校生投手は存在していなかった。

 ちなみに松坂の前年にドラフトで4球団が競合となった川口知哉(オリックス)が夏の甲子園で記録した最速は142キロであり、140キロを超えれば超高校級と呼ばれる時代であった。しかし現在ではその基準は大きく上がり、140キロを投げる投手は全く珍しくなくなっている。過去10年間の春夏の甲子園だけを見ても、150キロをマークする投手が登場しなかったのは2014年だけである。高校生のスピードアップにはもちろん様々な要因があることは確かだが、その象徴的な存在が松坂であったことは間違いない。

 高校時代の松坂が優れていたのはスピードだけではない。それはプロ入り1年目に16勝をマークして最多勝を獲得したことが証明しているが、この活躍によって変わったのは高校卒の選手に対するプロ、世間の見方だ。かつてはドラフト上位で入団しても、高校卒の選手は数年間は二軍で鍛えてから一軍へというのがセオリーだった。高校卒1年目に二桁勝利をマークした選手は1950年代は5人、1960年代には8人いたが、1970年代と1980年代には一人も現れていない。

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復活を遂げれば新たな「松坂伝説」に