つまり、52年前のちょうど今ごろ。ただし、さまざまな事情やいきさつから完成までには半年以上の時間が費やされ、ようやく秋になって、世に出たのだった。バンド全員がスタジオに入って何度か録音を繰り返し、いちばんいいと思われるテイクを作品化するのが普通だったあの時代には、まさに異例のことだった。

 ビーチ・ボーイズは、1960年代初頭、カリフォルニア州ロサンゼルス郡ホウソーンで結成されたバンドだ。中心人物でメイン・ソングライターのブライアン・ウィルソンと二人の弟、従兄弟と友人から成る、ローカルなファミリー・バンドだった。

 ロックンロールをベースに、イノセントな愛やサーフィン、ホットロッドなど歌った初期のヒット曲、たとえば「サーフィンUSA」「サーファー・ガール」「カリフォルニア・ガールズ」などはいずれも大きなヒットを記録し、ビートルズらによるいわゆるブリティッシュ・インヴェイジョンに対抗しうる数少ないバンドの一つとして人気を集めた。しかし、繊細な神経の持ち主だったブライアンは1965年を迎えたころから、ツアーには参加せず、ソングライティングやプロダクションだけに取り組むようになってしまう。

 つまり、極端ないい方をするなら、ステージに立って歓声や嬌声を浴びるビーチ・ボーイズと、部屋にこもって緻密な創作に全神経を傾けるビーチ・ボーイ(ズ)が同時に存在することになったのだ。

 この制作スタンスの最初の成果が、1966年5月に発売されたアルバムで、「ゴッド・オンリー・ノウズ」「キャロライン、ノー」「ウドゥント・イット・ビー・ナイス」などの名曲を収めた『ペット・サウンズ』。

 このとき、ブライアンはビートルズの『ラバー・ソウル』を少なからず意識していたそうだが、今度はビートルズ、とりわけポール・マッカートニーが66年5月半ばリリースの『ペット・サウンズ』からの刺激をギリギリのところで『リヴォルヴァー』に反映させ、そして、あの『サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』へと進んでいったのだった。

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