「『そうならなきゃいいな』と思っていた知性は、顛覆してしまった」
そう語る作家の橋本治氏は同時に、「だからといって慌て騒ぐ必要もない」とも続ける。橋本氏が考える「知性」とは? 著書『知性の顛覆』で論じた日本人がバカになってしまう構造について話を伺った。
――『知性の顛覆』というタイトルは、どんな発想から生まれたのでしょう?
橋本:どういう発想……って言われても、私は普段から、そういうイジワルなことを考えてる人だから(笑)。ちなみに『知性の顛覆』というタイトルの「知性」というのは、いわば昭和40年代頃には消えてしまう。「日本の近代」を作っていった知性、あるいは、世界中に共通だった、英語的に均一な「西洋的な知性」のことを言っているんですね。
──「英語的に均一な知性」……ですか?
橋本:そう。日本の「近代」というのはほとんど、そういう「西洋的な知性を英語から日本語に訳したものが正しい」というようなモノだったし、それは別に日本に限ったことじゃなく、そういう「知性」が「経済の拡大」と共に、一種「世界共通のメソッド」として広まっていったのが20世紀という時代なんですね。
20世紀というのは、そういう「西洋的な知性」特に「経済の理論」を身に着けて、ともかく、その「理論」を信じていれば、大きく、豊かになれるという時代だったわけだけど、今や20世紀が終わり、その「理論」は通じなくなってしまった。日本なんて分かりやすい例で、「西洋的な知性」を頼りに他の先進国を追いかける形で「20世紀」を経験して、それが、バブルとリーマンショックを経た今、通用しないことがわかって「どうしよう……」って、なっているわけでしょう?
当然「トランプのアメリカ」だって顛覆しちゃうわけでさ。だから今、まともに機能している世界の指導者って、良し悪しを別にして、中国の習近平、ロシアのプーチン、ドイツのメルケル……くらいの感じで、英語圏の人はいないんだよね。それってつまり、以前は「英語的に均一だった知性」が既に過去のものになりつつあるということを象徴しているんだと思いますね。