じわじわと迫ってきてはいるけれど多くの人はそれに気づかず、急に目の前の日常がぼこっと失われてしまう。それが多くの人にとっての「戦争」というものだったと小泉さんは語る。
「映画の主人公のすずさんは優しくてちょっとぼんやりしていて、社会のことや政治のことには無関心な人として描かれていますね。おそらくこれが当時の日本人の大多数の姿だったんだと思うんです。ほとんどなにも知らないまま戦争に巻き込まれていった。深読みすると、日本人は今のままだと、またそういうふうになるよと言われているようにも受け取れてしまう」
その小泉さんの言葉を受け、この映画を作り始めたときと今では少し状況が変わってしまったと片渕さんは答える。
「この映画を作り始めたのは2010年くらいなんです。本当は『戦時中にもこんな普通のくらしがあったんだよ』ということを伝えるだけだったはずなのに、この数年のあいだにも世の中の変化があってしまった。出来上がった映画はなにか別の意味合いを帯びて受け止められることも多くなってるのじゃないかと感じます」
映画ではすずさんのように「なにも知らないまま戦争に巻き込まれていった」人々が、食糧難に備えて工夫し、焼夷弾から家を守り奮闘する姿が描かれている。そしてある日突然、ラジオから流れる玉音放送によって終戦を迎える。
片渕さんの調べによると、あの日の玉音放送はいわゆる特別番組だったそう。
「あの日は本当なら京都からの盂蘭盆会中継だとか民謡の番組をやるはずだったという番組編成の記録が残っているんです。裏腹になんて平和なんだろうと思いますよね。そういう『戦争中の普通の日々』から、急に違うところに飛び込まされたというのがあの玉音放送だったんじゃないかと思います」
小泉さんは著書『くらしの昭和史 昭和のくらし博物館から』のなかで、玉音放送を聞いたときのことを「(まだ子どもだったので)よく聞き取れず、何をいっているのかわからなかったが、父たちが、『戦争が終わりましたね』といっているので負けたんだと知った。戦争も終わることがあるんだというのが大発見だった」と記している。そして深刻な食糧難に苦しむのは戦後だったということも書いている。
戦時中にも人々のふつうのくらしはあった。終戦後もそのくらしはもちろん続く。その延長線上に私たちの今のくらしがある。
「我々の今のくらしと戦時中のことは別々に考えてしまいがちだけど、それをもう一度くっつけて考えると、その時代のことがよく分かるんじゃないか」と片渕さんは言う。
「詳しく調べて描くことで、タイムマシンにのってその時代にいったみたいな経験を自分たちもできる。映画をみてくれた方たちにもその感覚を味わってもらいたい。映画ではすずさんが呉に嫁いでからの約2年間が描かれているんですが、そのあとのすずさんの人生はきっと60年、70年と続いて、自分たちと同じ時代を生きているわけです。別の世界のことではなく、自分たちと地続きなのだと。そんなふうに受け止める想像力を抱いてもらえるといいんじゃないかなと思います」
(文・国府田直子)