しかし、麻央さんが綴る記事を一つひとつ読み進めていくと、ギリギリの状況のなかで発信を続けていること、発信を続けることが麻央さんにとって“生きる証”なのだということが伝わってきます。というのも、麻央さんは文章だけではなく写真も多用し、リアルな生活の様子を伝えていた。それも、体調が良いときも良くないときも、包み隠さずです。そんなブログを読み続けるうちに読者は「生きることとはどういうことなのか」と考えるようになったはずです。そして、当初は"かわいそうな人"のブログというような興味本位だった人々の認識も、“頑張っている人”を見るというものに変わり、熱心な読者になる人や、逆に麻央さんのブログに励まされる人が続出することになったのだと思います」
そして、麻央さん自身も発信を続けることで力を得ていたと碓井氏は指摘する。
「258万フォロワーという途方もない数の人が励まし、見てくれている。この『見てくれてる』という感覚はブログ著者にとって、応援してくれているという感覚に近い。また海老蔵さんが6月23日の会見でもおっしゃっていたように、ブログは麻央さんだけではなく、海老蔵さんを始め、家族への励ましにもなっていたのです」
ブログが麻央さんの精神的な支えになりえたのは、その性質に起因するという。
「芸能人が病気をしたりすると、マスコミが追いかけ、憶測でものを書きます。これは世の中から隔絶した状態で闘病する人にとって、多大なストレスになる。芸能人の病気にまつわる報道は、こうしたことの繰り返しでした。
しかし、麻央さんはブログを開始するという選択をすることでこの状況を変えたのです。
ブログを書くということは、第一次情報を芸能人自身が発信しているということ。毎日記者会見をしているようなものです。これによってマスコミは無責任な報道をしなくなり、麻央さんは心を乱されることなく、闘病生活に向き合えたのだと思います。
麻央さんのブログを巡る出来事を一言で総括するならば、闘病という『プロセス』を人々が共有できたということです。普通は、病気をした、克服した、亡くなった、といった『結果』だけが報じられます。私達は日々麻央さんのブログを読むことによって、彼女が何を考え、どう人生に向き合っているかを共有できた。これはブログというメディアの可能性を示唆する出来事でもあります」