「エベレスト登頂、感動しました」
「いつごろから高い山に登り始めたのですか?」
ザックを背負った三浦雄一郎さん(83)に、周りを登る人たちが次々と話しかける。三浦さんは、冬はスキー場のゲレンデとなる斜面を登りながら、嫌な顔一つせず、「ありがとう」「若いころから数千メートル級の山に挑戦していました」などと丁寧に答える。トレッキングポールは持たず、手を後ろに回してゆっくりと歩を進める。
2016年6月5日、兵庫県北部、香美町にある関西有数のスキー場、近年はトレイルランが盛んなハチ北高原スキー場で行われた山岳ハイキングイベントの一場面だ。イベントは、地元のハチ北高原自然協会50周年を記念して開かれ、関西を中心に、愛知や富山、広島から約180人が参加。プロスキーヤーで冒険家、2013年には世界最高齢の80歳でエベレスト(標高8848メートル)に登頂した三浦さんと一緒に、スキー場のある鉢伏山(標高1221メートル)の頂上を目指した。
1966年の富士山での直滑降、70年のエベレスト、8000メートルという世界最高地点からのスキー滑降、85年の世界七大陸最高峰でのスキー滑降達成など、数々の記録を打ち立てた三浦さん。実は、三浦さんとハチ北高原スキー場との間には、意外なつながりがある。
さかのぼること約50年前、鉢伏山でのスキー場開発構想を抱く当時の兵庫県知事や地元関係者が、既にプロスキーヤーとして有名だった三浦さんに協力を依頼。「関西にこんなすごい山があったのか」と驚き、可能性を感じた三浦さんは、やぶを分け入って山を登り、スキー場の設計にかかわった。
1968年のスキー場オープン後にはスキースクールも開設した。富士山やエベレストでのスキー滑降の前には、鉢伏山の山頂から続く大斜面を、パラシュートを背負って滑り、準備を重ねたという。長男の雄大さんは、地元の小学校に通っていた時期もあるそうだ。
今回のイベントは、ハチ北高原自然協会50周年ということで、三浦さんに山岳ハイキングを依頼し、実現したものだ。
ハイキング当時はあいにくの雨。ガスがまく中、標高688メートルのゲレンデ下からスタートした。前日行われた講演会後、「(鉢伏山を)歩いて登るのは約50年ぶり。明日は僕が一番のびているんじゃないか」と話した三浦さんだったが、いざ登り始めると、急勾配の斜面を、ゆっくりではあるが着実に歩を進めていく。
さすがに困難な挑戦の数々をこなしてきただけある。1カ月前には、次の挑戦に向け、ヒマラヤの約4000メートル地点でトレーニングに励んだという。