養父・秀吉には愛されたが、秀吉の側室・淀殿が嫡子を生んだことにより、今度は名門・結城家へ養子に出された。一説には、秀吉は秀康の資質を認めるゆえに養子に出し、家康もまた秀康を北国へ遠ざけたとも……。結局、秀康は徳川家や弟の秀忠からは一大名としてしか扱われず、越前(現在の福井県)で34歳の生涯を閉じたという。

「兜は秀康が愛用したとされる唐冠形(とうかんむりなり)。脇立(わきたて)が左右に出ているのが特徴です。徳川と豊臣の紋散らしの胴は、秀康が置かれていた境遇をよく表しているようです。」(山さん)

 展示されている籠手(こて)や脛当(すねあて)に使用感は残っているが、全体的に実戦で傷んだ様子はない。鎧兜を見ていると、秀康の悲哀が見て取れるようである。

 このほか、地元・富山に支藩を置いた前田家ゆかりの品々も並ぶ。加賀藩初代藩主である前田利長の「阿古陀形筋兜(あこだなりすじかぶと)」は、頭部の形に合わせたつくりである。かぶる前に頭頂部に置いた摩利支天(まりしてん)の小像も展示されている。江戸時代に作られた「銀象嵌雲龍文十匁筒(ぎんぞうがんうんりゅうもんじゅうもんめづつ)」は色や形から、実用というより、装飾の美しさが目を引く。いずれも歴史の重みが感じられる逸品である。

 同美術館では2階の鑑賞室で、重要文化財5点や重要美術品10点を含む日本刀・刀装具・武具などのコレクションを、3カ月ごとに年4回入れ替えて展示する。それぞれ、持ち主の思いを感じながら鑑賞するのも面白いだろう。

(ライター・若林朋子)

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