●服の重さと罪の重さの関係は?

この服の重さ、というのが三途の川の渡り方にかかっているのだ。
まず、生前に悪い事をしなかった死者は、三途の川に架けられた橋を渡る事ができる。少しだけ悪い事をした死者は、ひざ下くらいまでの浅瀬を渡る事ができる。悪事を重ねてきた死者は、三途の川の濁流の中を必死で泳いで渡らなければならない。これが「三途」、つまり三つの渡り方なのだ。
つまり、渡りきったところにいる婆に会う時には、ずぶぬれの服をまとっている=罪人、という構図ができあがっている。

●舟賃は六文

 その後、もっと楽をしたいと考える人間たちは「舟で渡る」という方法も発明した。この舟賃が六文(江戸時代だとお風呂屋さんの料金くらい)。そんなわけで「六文銭」というのは死出の旅を意味する言葉になった。この旅銭の考え方は世界各国にあって、棺の中にいろいろな形で入れられているようだ。

 ちなみに「六文銭」と言えば、真田幸村で名高い真田家の家紋である。彼らの兵たちは常に死と隣り合わせ、いつでも六文銭を持っているという迫力があったのだとか。

●生きているうちに三途の川を渡りたい?

 青森むつ市にある、かの「恐山」近くを流れる正津川は、宇曽利湖から流れ出る唯一の川で、湖近くの上流付近のみが三途川と呼ばれている。

 宇曽利湖は恐山のカルデラ湖で、湖底には硫黄が滞留し、強い酸性を帯びているためここで生存可能な生物は極めて限られている。宇曽利湖の水が流れ出る上流付近は、たしかに三途川と呼ばれるくらいの死の川なのだ。この川にかかる太鼓橋は生きているうちにタダで渡れる三途川の渡り橋として名高い。

 さて、舟で渡ってくるようになった死者の罪の重さを、奪衣婆は何で計ったのだろう。婆の隣には懸衣翁(けんえおう)というおじじがいて、服を木にかける役割を担っているのだが、爺のもうひとつの仕事に、服のかわりに皮を剥ぐという仕事があるらしい。

 面の皮が厚ければ、剥いだ皮も重くもなろう…。せめて、私は浅瀬を渡りたい…。

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