「清原さんが本当に神戸大病院に入院してるなんて信じられへんかった。あれだけの大スターやから東京や外国で入院生活するもんやと思うてたから。もう全盛期やないゆうことは野球に疎い私でもわかってたけど。それでも神戸で頑張ってくれてる大スター、その存在だけでわたしらも勇気をもらったものです」(当時を知る60代神戸市民女性)

 辛いリハビリに耐えた清原容疑者は、08年にようやく戦線復帰を果たす。だが、手術の影響もあり思うような活躍ができない。結局、この年を最後に現役引退。地元である大阪府岸和田市のリトルリーグに始まり、兵庫県の神戸市を本拠地とするオリックスで現役に幕を下ろした。関西で始まり、関西で終えた「野球人生」だった。

 引退した清原容疑者は、歌手・長渕剛が「とんぼ」を熱唱した“引退試合”で着用したユニホームを着て、神戸大学医学部附属病院の子どもセンターを訪れている。当時の様子は「神戸大学ニュースネット委員会」(08年11月26日付記事)に詳しい。

<自身も二児の父親である清原さん。「少しでも元気にリハビリをしてくれれば」という思いで子供たち一人一人と言葉を交わし、サインや写真にも笑顔で対応>

<今後については明言を避けたが、最後に「厳しい戦いをしている子供たちを見て、自分も頑張っていかないといけないと思う。野球というスポーツを通じて、勇気や元気を与えられる人間になりたい」と決意を話した>

 清原容疑者の訪問で、入院中の子どもたちは大喜び、親や病院関係者も大感激で、院内は大興奮の渦に包まれたという。だが、清原容疑者は、そんな子どもたちや神戸市民を覚せい剤で裏切ってしまった。

「辛いリハビリに耐えて復活したんや。更生して立ち直った姿をみせてくれるはずや。なかなかできることやない。でも、ここから立ち直ってこそ大スターや」(前出の60代女性)

 この言葉を、今、清原容疑者はどう受け止めるのだろうか。

 神戸という土地は、清原容疑者にとっては短い縁でしかなかったかもしれない。だが、神戸市民にとっては甲子園の英雄、大スター、“清原和博”の存在は強烈な印象と共に記憶に残っている。

 覚せい剤にまみれた清原容疑者のユニホームを展示することは、今や社会が許さないだろう。再び展示されるのは、清原容疑者が更生し立ち直ってから……少し先の話になりそうだ。

(フリーランス・ライター・秋山謙一郎)