NHK朝の連続テレビ小説「あさが来た」の週間平均視聴率が、5週連続で20%の大台を超え、好発進を維持している。ドラマの原案は明治の女性実業家・広岡浅子を主人公とした『小説 土佐堀川』(古川智映子著、潮出版社)。晩年の浅子の写真を見ると、どっしりとした「ナニワのおばちゃん風」である。しかし、若いころの洋装姿はヒロインを演じる波留のようにスマートだ。商いと教育に全力を傾け、「明治の女傑」といわれた浅子の生涯とは?
ヒロイン「白岡あさ」のモデルとなった浅子は、1849年に豪商・三井高益(たかます)の四女として京都市内で生まれた。高益は出水三井家(後の小石川三井家)の6代目当主に当たる。三井家といえば、後の三井グループにつながる名家で、同族の11家が協力して事業を展開し、利益を分配する独自のシステムで繁盛した。
三井家の史料により浅子の出生をたどると、「別腹」とある。宮崎あおいが演じる姉「はつ」のモデルである2歳年上の春も本妻の子ではない。史料には母親がだれなのか記されていない。ドラマでは両親の愛情を受けて育った姉妹として描かれている。商家の当主が正妻以外に愛人を持つことは当時、珍しくなかったかもしれない。史実をドラマに重ねれば、「雛人形を手に幸せになりたい」と切実に願う姿に、生い立ちの陰を見ることもできる。
ドラマでは「あさ」が幼いころ、「女子に学問など要らぬ」と言われながらも、親の目を盗んで書物を読み、そろばんをはじき、木登りをした様子が印象深い。おてんば娘の「あさ」は明るく奔放で、思慮深い「はつ」と好対照をなしている。しかし、浅子は無邪気なだけではなかったようだ。晩年に記した自伝『一週一信』にこうある。
「女子を器物同様に、親の手から夫の手に渡すといふ事は、何といふ不當な事であらう」
「男勝り」というには、あまりにもスケールの大きい後の生きざまや、女性教育の充実に私財と情熱を注いだ功績は、少女時代の経験に、その萌芽があったと考えることができる。