

ジャーナリストの田原総一朗氏は、東日本大震災の復興が続くなか、政府が決めた原発の新設計画に苦言を呈する。
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3月11日、東日本大震災から9年がたった。
死者・行方不明者は、関連死を含めると2万2129人に及ぶ。そして、東京電力福島第一原発事故などによって、現在でも4万7737人が避難生活を続けている。
復興は9年たっても、まだ道半ばなのである。
第二の敗戦と称された東電福島第一原発事故。東電は、原発の地元の住民たちの避難訓練を行っていなかった。なぜなのか、と事故後に東電幹部に問うた。すると、
「避難訓練が必要だと言うと、それでは事故が起きる危険性があるということで、『そんな危険な原発の誘致には賛成できない』と地元の住民たちに言われて、事故は絶対に起きないと言い切るしかなく、だから避難訓練をすることはできなかったのだ」
というのである。
事故は起きない。それは地元の住民たちに言い切っていただけではなく、東電の社員たちもそのように捉え、なんと監督官庁である経済産業省も同様に捉えていた。
深刻な原発事故が起きたのは、東電に決定的な過失がいくつもあったためである。
まず、原子炉は絶えず水で冷やし続けなければならない。そのためには電力が必要である。東電福島原発の原子炉は、東北電力から送られる電力で冷やし続けてきた。ところが、大きな地震で送電鉄塔が倒れ、第一原発は停電してしまった。
実は、日立製作所などがつくった福島第一原発は、米国のゼネラル・エレクトリック社(GE)の原子炉をそのまま導入していた。こうした事故が起きることを見越して、それぞれの原子炉には非常用発電装置が取り付けられてあった。
米国では竜巻対策として、GEの原子炉は非常用発電装置が地下に埋め込まれており、福島第一原発の非常用発電装置も同じように地下にあった。そのため、津波に襲われたことで、非常用発電装置が機能せず、原子炉が爆発してしまったのである。