「『大地の子』という作品を撮影している、29歳の時でした。役者として舞台に立ったキャリアはせいぜい5年ほど。“ペーペー”と言って間違いない時期です(笑)。移動するバスの中で、雑談の折にふと、『今演じるものと次に演じるもの、なるべく距離感がある役柄を選んだほうがいい』というアドバイスを頂戴したんです。僕はいまだにそれを、心のどこかで大事にしているところはあります」

「大地の子」といえば、中国の戦争孤児の過酷な運命を描いた長編小説で、1995年に放送されたドラマは、上川さんの出世作となった。最初に希望していた俳優とはスケジュールの折り合いがつかず、急遽抜擢された上川さんの芝居を気に入った原作者の山崎豊子さんが、のちにエッセーで「彼でよかった」と述懐した逸話もあるほどだ。

「あの作品に関しては、オーディションすら受けずに決まったキャスティング経緯があるものですから。我知らずのうちに……というとあまりにも他力本願に過ぎますが、あれよあれよという間に、自分の環境が大きく変わっていった時期でした。その変化をもたらしてくれた意味では、“転機”という言葉でしか表現しようのない作品であることは間違いないです」

 撮影の最中、日本と中国を代表する2人の偉大な俳優に、大きな憧れを抱いた。

「仲代達矢さんと、一昨年お亡くなりになられた中国人の朱旭(しゅきょく)さんです。仲代さんが僕の実の父、朱旭さんは僕の中国でのお父さん役でした。このお二方が、役者としても人間としてもあまりにも素晴らしかった。お二人とご一緒できた時間は、僕にとって“あんな役者になってみたい”という憧れを、純粋に、胸に焼き付けられた時間だったんです。目の前で繰り広げられるお二人の芝居は、僕の知っている芝居とは、次元が違いました」

 初めての本格的な、それも日中合作のドラマで、本物の芝居に触れられたことは、役者としての“洗礼”だったのかもしれない。その憧れの感情があまりに鮮烈だったからこそ、「より上手になりたい」「いい役者になりたい」という思いが褪せることはないという。

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