高嶋ちさ子さん(右)と父の弘之さん (撮影/写真部・掛祥葉子)
高嶋ちさ子さん(右)と父の弘之さん (撮影/写真部・掛祥葉子)
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 親子の関係や夫婦のあり方は、誰にとっても永遠のテーマだろう。バイオリニストであり、2児の母でもある高嶋ちさ子さんが、ダウン症の長女と2人暮らしをする父で音楽プロデューサーの弘之さんと家族について語り合いました。

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ちさ子(以下ち):私は昔から「お前は多摩川の橋の下で拾われた」って言われてたんです。

弘之(以下弘):言ってないよ、そんなこと。

ち:いっつも言われてた!家も(多摩川に)近かったし。言われて「あ、そうか。やっぱりな」って。「私は違うよ、あんたたちとは違うよ!」って思ってた。

──お姉さんとお兄さんは、橋の下ではない?

ち:あの2人は別格です。長男は期待が高かった。

──橋の下の子が一番出世。

弘:そうね。

ち:ハングリー精神ね。

弘:3人みんなしっかりやってくれていて安心ですよ。孫は親たちに任せたい。

ち:任せてください。

弘:次男はチェロがうまいもの。いつか次男のおじいちゃんって言われるのを待っている。

ち:まったく“親”バカでしょう。

弘:これまで「高島忠夫の弟」でしょ。続いて「高嶋政宏・政伸の叔父」。最近は「高嶋ちさ子の父」だもの。でも、今は楽しみ。いつか「次男の祖父」と言われるのが。

ち:2人はよく似てるんです。やったらよくしゃべるとことか。しかも誕生日まで一緒! 彼は人の懐に入るのが上手。ちょっと人たらしなんです(笑)。先生に「君だけしかいない」みたいなことを言う。外でいろんなことを言ってその人をいい気持ちにする。「だけど、ママが一番だから」とか家でぼそっと言う。

弘:ただ、孫が生まれた時は、正直に言って心配だったな。長女(未知子さん)がダウン症でしょう。ひょっとしてという不安が。

ち:20歳まで生きられないと言われた姉。それが今や、57歳。

弘:3年前に家内も亡くなって。食事は、朝はいつも未知子が作ってくれる。味はいまいちだけど(笑)。家内が亡くなった後、もし僕一人だったら、生きられなかったと思う。未知子がいたから、ここまでやってこられた。

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