![高嶋ちさ子さん(右)と父の弘之さん (撮影/写真部・掛祥葉子)](https://aeradot.ismcdn.jp/mwimgs/c/6/840mw/img_c614a6aa54ee7a14a4d1507d6dc99a6d72265.jpg)
親子の関係や夫婦のあり方は、誰にとっても永遠のテーマだろう。バイオリニストであり、2児の母でもある高嶋ちさ子さんが、ダウン症の長女と2人暮らしをする父で音楽プロデューサーの弘之さんと家族について語り合いました。
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ちさ子(以下ち):私は昔から「お前は多摩川の橋の下で拾われた」って言われてたんです。
弘之(以下弘):言ってないよ、そんなこと。
ち:いっつも言われてた!家も(多摩川に)近かったし。言われて「あ、そうか。やっぱりな」って。「私は違うよ、あんたたちとは違うよ!」って思ってた。
──お姉さんとお兄さんは、橋の下ではない?
ち:あの2人は別格です。長男は期待が高かった。
──橋の下の子が一番出世。
弘:そうね。
ち:ハングリー精神ね。
弘:3人みんなしっかりやってくれていて安心ですよ。孫は親たちに任せたい。
ち:任せてください。
弘:次男はチェロがうまいもの。いつか次男のおじいちゃんって言われるのを待っている。
ち:まったく“親”バカでしょう。
弘:これまで「高島忠夫の弟」でしょ。続いて「高嶋政宏・政伸の叔父」。最近は「高嶋ちさ子の父」だもの。でも、今は楽しみ。いつか「次男の祖父」と言われるのが。
ち:2人はよく似てるんです。やったらよくしゃべるとことか。しかも誕生日まで一緒! 彼は人の懐に入るのが上手。ちょっと人たらしなんです(笑)。先生に「君だけしかいない」みたいなことを言う。外でいろんなことを言ってその人をいい気持ちにする。「だけど、ママが一番だから」とか家でぼそっと言う。
弘:ただ、孫が生まれた時は、正直に言って心配だったな。長女(未知子さん)がダウン症でしょう。ひょっとしてという不安が。
ち:20歳まで生きられないと言われた姉。それが今や、57歳。
弘:3年前に家内も亡くなって。食事は、朝はいつも未知子が作ってくれる。味はいまいちだけど(笑)。家内が亡くなった後、もし僕一人だったら、生きられなかったと思う。未知子がいたから、ここまでやってこられた。