ハーバードビジネススクールを経て外資系企業へ転じ、日本HPやマイクロソフト社の社長を歴任した樋口泰行。そこから25年ぶりに、新卒で入社したパナソニックに出戻った。任されたのは、大企業病に苦しむパナソニックの改革だった。厳しいグローバル競争のもとで培った経験をもとに、タブーを恐れず、一気に改革のアクセルを踏み込む。
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オフィスの入り口で、樋口泰行(ひぐち・やすゆき 62)は自社製品でもある顔認証端末に顔を近づけた。カチャリと扉が開いて目の前に広がったのは、300人は着席できるフリーアドレスのオフィス。東京・中央区にあるパナソニックコネクティッドソリューションズ(CNS)社の本社では、社員は毎日、好きな場所に座って仕事をする。同社の社長であり、パナソニック専務である樋口も同様だ。社長室はない。社員に交じってフリーアドレスの席で仕事をするのだ。世界で約2万7千人を擁し、売上高が1兆円を超える会社の社長が、である。
「三つの会社で社長を経験しましたが、部屋がない、というのは初めてですね(笑)。でも、やってみたら入ってくる情報量が段違いなんですよ」
ちょっと今いいですか、と社員が樋口に声をかける。資料も何もない。その場ですぐ相談が始まる。いつもの光景だという。それだけではない。ガラス張りの会議室での会議に、社長の樋口が突然ひょっこりと顔を出すことも珍しくない。
樋口がパナソニックに転じたのは、2017年。CNS社は樋口の就任とともに組織再編によって誕生した社内カンパニーのひとつで、IoT領域など法人向けのビジネスを手がける。
樋口の経歴は華麗だ。45歳で日本ヒューレット・パッカード(HP)の社長に就任。47歳で社長兼COOとしてダイエー再建を託された。49歳で日本マイクロソフトへ移り、社長・会長を歴任。だが、新卒で入社したのは、松下電器産業(現パナソニック)だ。25年ぶりの出戻り、しかも役員としての古巣への復帰は大きな話題になった。