稀代の食いしん坊は編集長になった今も「大石勝太」のペンネームで、多数の記事を執筆している(撮影/植田真紗美)
稀代の食いしん坊は編集長になった今も「大石勝太」のペンネームで、多数の記事を執筆している(撮影/植田真紗美)
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編集部は総勢12人。毎号、30人以上のライター、カメラマンが誌面作りに参画。数週間の間に、掲載する数十軒ものお店の試食を繰り返す。売り上げ部数を決める特集のテーマと表紙写真は植野自身が決める(撮影/植田真紗美)
編集部は総勢12人。毎号、30人以上のライター、カメラマンが誌面作りに参画。数週間の間に、掲載する数十軒ものお店の試食を繰り返す。売り上げ部数を決める特集のテーマと表紙写真は植野自身が決める(撮影/植田真紗美)

「dancyu」の編集長となり3年。植野広生さんの気さくな人柄と確かな舌は、メディアにもひっぱりだことなった。雑誌は、「グルメ」のためではなく「食いしん坊」のために作る。何より植野さんが、味だけでなく食べ方にもこだわる食いしん坊だ。父もまた食いしん坊。遊び心をただ持てばいいという父の言葉通り、おいしいものがあれば、どこにでも飛んでいく。

【写真】編集部は総勢12人。毎号、30人以上のライター、カメラマンが誌面作りに参画する

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 1990年12月6日。日本で初めて外食産業の売り上げが国内自動車市場を鮮やかに抜き去ったこの日、「dancyu(ダンチュウ)」という名の食の専門誌が産声をあげた。バブル崩壊前年に創刊し、平成、令和と30年にわたって日本の食シーンを牽引してきた。その8代目編集長に抜擢された植野広生(57)は、「dancyu」はグルメではなく「食いしん坊」のための雑誌だときっぱり言い切る。

 料理雑誌の編集長と聞くと、日々、高級な星付きレストラン詣でに勤しむイメージがあるが植野のスタイルは全く違う。もちろん、3万円のフレンチのフルコースも好きだが、同時に毎晩「一人反省会」と称して、東京・渋谷の雑居ビルの隙間にたたずむ大衆酒場で、レモンサワーと名物の焼き鳥を頬張る時間をこよなく愛する。料理に貴賤なし。あの牛丼の「吉野家」だって大好物だ。しかし、稀代の食いしん坊は、ただ食べるのではなく、その「食べ方」にまで余念がない。例えば、植野流の牛丼はこんな具合だ。

 注文は決まって「牛丼アタマの大盛り、ご飯少なめ、サラダ、胡麻ドレッシング」。運ばれてきたら、まず牛肉だけ一口食べ、その店のその時の味付けを確認。ついで、胡麻ドレッシングで軽く和えたサラダを熱々の牛丼の上にのせ、すかさず、サラダと牛肉を5対5の割合でつまんで食べる……。この他にも「かつカレーのかつは『右から2番目』から食べる」「かき揚げそばは『たてかけ』で」など、同じ料理でも、人よりもおいしく食べるための努力、研究は惜しまない。改めて植野に問うた。グルメと食いしん坊は何が違うのか?

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