作家の下重暁子さん
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※写真はイメージです(c)Getty Images
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 人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、今やファッションの一つにもなっているマスクについて。

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 街へ出ればマスクの花が咲いている。

 古典的な白一色のものでもさまざまな形があるし、医療者のつけている水色のものから黒一色もある。顔の真ん中にあるものだけに目立つので、様々な工夫がされている。若い人に人気なのはぴったり肌のように貼り付く冷感マスクだという。

 広島の赤ヘル軍団は真紅のマスク。お母さんの手作りマスクなども目につき、今や一種のファッションになっている。かつては三角に近いゴツゴツした黒いおじさんマスクにガーゼだけ取り換えていた。

 私は子供の頃、結核にかかり、小学2、3年を休学して家に隔離されていたから、マスクも馴染みだし、ステイホームも人より苦にならない。外から遊びに興じる子供の声が聞こえても羨ましいと思ったことがなく、父の書斎から小説や名画集などを一冊ずつ取り出して眺め、無邪気に転げまわる同年代の子供っぽさを哀れんでいた。

 唯一の友達の蜘蛛は美しい網を張り、獲物がかかるのを待つ楽しみを教えてくれた。病気も決して捨てたものではなかった。

 その頃の子供の読み物といえば、少女雑誌であった。戦後次々と創刊され、松島トモ子さんや小鳩くるみさんなど、子役や童謡歌手の愛くるしい写真が表紙になった。

 私が大好きだったのが中原淳一の絵が表紙の「ひまわり」。その少女のつぶらな瞳、細い首、洗練された愛らしいファッションに夢中になって、細身で目が大きいのをいいことに、似た格好を心がけていた。

「ひまわり」を卒業し、「それいゆ」を読むようになると、大人になった気がした。二〇一四年に亡くなった大内順子さんが青山学院大の頃からモデルになっていた。当時すでに活躍していた黒柳徹子さんがご両親とともに写った記事など鮮明に憶えている。ヴァイオリニストの父、声楽家の母、なんて素敵なご一家だろう……と。

 その話を一緒に遊んでいる句会の席で話すと、

「そう、あの写真、私もよく憶えている。いい写真だったわ」
 
 と黒柳さんが言った。

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