あれは、あなたが、若い京都の友人の仕事場に、時々泊まりに来て仕事をしていた時、その仕事場が当時、私が棲(す)んでいた桂川沿いのマンションの別棟にありましたね。ある朝、まだ夜があけたばかりの頃、私の六階の部屋の窓の下から「セトウチさあん!」と声がして、ヨコオさんが、はるか地上から私を呼んでいたのです。すぐ降りて行くと、
「まだUFO見たことがないといってたから、見せてあげる。ボクが呼ぶと、いつだってどこだってUFOは出るんだから」
とのたまう。それから嵐山のどこやらを登りわけいり、二時間近くさまよいましたね。でも一向にUFOはお出ましにならない。その時、ヨコオさんがつぶやきました。
「ヘンだな! こんなに呼んでも出ないのは、風邪か下痢で病気なんだね、可哀(かわい)そうに! じゃあ、帰ろう!」
と帰ってきたのです。その時、私はヨコオさんを、何て優しい男性だろうと、つくづく感じ入ったことを忘れません。あなたの博愛は、人間以外の森羅万象までに隈(くま)なく及んでいるのでした。その優しい権化の人が、50回記念の往復書簡に、何と冷たい悪口雑言を書いてくれたのですか! 私があなたのおすすめもあって、絵をはじめたのをハシャギすぎだとののしって、絵具(えのぐ)や絵筆を用意してくれた若い絵描きさんをお師匠さんにしたように決めこみ、私の浮かれようをたしなめてくれています。有難いと感謝すべきですが、UFOにさえあんなに優しい想いやりを見せたヨコオさんとは、同一人物とも思えないイジワルです。
あんまり腹に据えかねたので、絵の道具には、まだ一切手を触れていません。ハンサム絵描きさんは、超美女の奥さんと、一度のぞいてくれましたが、呆(あき)れて帰ってゆきました。私はまだ封をきらない絵具を睨(にら)んでは、ヨコオ画伯をうならすどんな絵を描いてやろうかと、瞑想(めいそう)ばかりしています。天下の天才ヨコオさんをうならせるタマシイの描く絵を、想い描いて、真白のキャンバスを眺めている毎日でございます。
梅雨も明けました。ちわげんかもやめましょう。
この手紙、100回になったら本にしましょうね。それまで、私の命が持つかな?
ではでは。
※週刊朝日 2020年8月28日号