映画「ソワレ」が初プロデュース作品となった俳優の豊原功補さん(54)。これまでも俳優のみならず演出にも携わってきたが、その出発点は小泉今日子さんの存在だった。
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【前編/「原作ありき」の映画に疑問? 豊原功補「リスク回避で同じものを量産」】より続く
演出やプロデュースに向かうきっかけになったのは15年。小泉今日子さんが設立する制作会社「明後日」での企画に携わったことだ。
「ちょうど50歳にさしかかるところで『この先、生きているうちにどこまでやれるだろう』という思いがあったんです。俳優ではすくいきれないことを表現できる場所があればやろう、と。小泉さんのほうもそれまでのキャリアから、新しい場所でのものづくりや次世代への考えみたいなものを持っていたんだと思う。その部分が一致したんです」
17年に明後日プロデュースの舞台「名人長二」を企画、脚本、演出、主演。翌年の舞台も演出した。よほど感性が一致したのだろうか。
「不思議なんですけどね。実際はいろいろと逆なんですよ。もちろん性別にはじまり、これまでやってきた道のりや物の見方も、死生観も違う。でも、表現については僕の持っている『理由はつけられないけれど、これをいいと思う!』感性と、小泉さんのそれに大きなずれがない。それがいま、一緒にやれている一番の要因だと思います」
行き着く地点は同じでも、ルートが違うのだという。
「僕はこっちから来たけど、あ、そっちはそういうルートで来たんだ、って。驚きや発見はありますね。それぞれこの世界で40年近くやってきて、生きてきた世界も見てきた世界も違いますからね。でも、どこか自分のなかにくすぶっていた映画界や芸能界に対してのひっかかりにも、同じく共鳴するものがあった。たぶん、我々は体育館の裏で、時間差ですれ違っていたような相手ですよ。別々のグループだけど、やっていることは同じっていう(笑)」
実はこれまで、ほかの仲間と動いたことがあった。
「30代や40代、そのときどきで『自分たちの映画を撮ろうぜ!』と俳優仲間で脚本を集めてみたり、何かをやろうとはしていたんです。でも、全員の足並みが揃(そろ)わなかったりして、かたちにならなかった。だから出会いとタイミングだったんでしょうね」