宮藤:「おらおらでひとりいぐも」というタイトル、なぜこれにしようと思われたんですか?

若竹:最初は「桃子さん」だったんですが、文藝賞を受賞した時に変えるよう勧められて、それなら方言にしようと。小説でも使った宮沢賢治の「永訣の朝」の一節からとりました。

宮藤:おらおらで、の「で」はどういう意味ですか?

若竹:私は私で。

宮藤:最後の「も」は?

若竹:詠嘆の終助詞(笑)。

宮藤:強調もしてますよね。完全に標準語化したら、「私は私自身で一人で行きます!」ですか。なんか違うなー(笑)。

若竹:んだねー(笑)。でも「おらおらで」は、今でも意外と日常で使う言葉だと思います。

宮藤:「あ、大丈夫です、自分でできます」って言う時とかですよね。

若竹:そうです。そんな感じ。

■いざとなったら馬鹿力

宮藤:響きもすごくいいけど、東北の人の「人に迷惑をかけない」感じがよく出ているなと思ったんです。実家の親戚づきあいの話なのですが、これほど携帯電話が普及してる時代なのに、アポを取らずに行き来しているんです。あの文化って何だろう。お墓参りに行って、親戚の家に寄るつもりでも、事前にアポは取らない。「ついでに寄ったら、たまたまいたので、あがってお茶を飲んだ」というストーリーじゃないと、気が済まないんです。

若竹:わかります。

宮藤:東北の人たちのそういうメンタリティーを、いつか作品にできないかなって思っているんですが。

若竹:私は「おらおらでひとりいぐも」という言葉から、女の人たちの強さも感じます。自分を抑えつついるんだけれども、最後は何か振り切る。自分の運命というか状況を、全部引き受ける。そういう強さを感じます。

宮藤:確かに頑固とは違うんだけど、はっきりものは言わないんだけど、譲らないものはあるかもしれない。

若竹:我慢強さもありますから。耐えて耐えて、いざとなったら馬鹿力を発揮する。そういうメンタリティーもあると思う。

宮藤:東北というとあまり爆発的なイメージがなかったですが、映画で田中裕子さんが急に服を脱いだり、踊りだしたりするシーンがありました。その強さがあったから、「寂しさ」が表に出てもいいんだと思えました。

若竹:田中さんがうれしそうに楽しそうにしていると、逆に桃子さんが寂しいんだろうなって感じられます。

宮藤:だから桃子さんが寂しくない時は、僕らはいなくなるんです。そんな、暢気だけど暢気でない、いい映画ですよね。

(コラムニスト・矢部万紀子

AERA 2020年11月9日号

著者プロフィールを見る
矢部万紀子

矢部万紀子

矢部万紀子(やべまきこ)/1961年三重県生まれ/横浜育ち。コラムニスト。1983年朝日新聞社に入社、宇都宮支局、学芸部を経て「AERA」、経済部、「週刊朝日」に所属。週刊朝日で担当した松本人志著『遺書』『松本』がミリオンセラーに。「AERA」編集長代理、書籍編集部長をつとめ、2011年退社。同年シニア女性誌「いきいき(現「ハルメク」)」編集長に。2017年に(株)ハルメクを退社、フリーに。著書に『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』『美智子さまという奇跡』『雅子さまの笑顔』。

矢部万紀子の記事一覧はこちら