「何月何日に何をしたかという面会記録は、再三申し上げておりますが、そういう記録はないわけでございます」(2017年3月2日答弁)
「私ども、そういう面会記録につきましては、保存期間一年未満ということでございまして、契約終了とともに処分しておるところでございます」(17年3月6日答弁)
「そういう面会録は売買契約と同時に処分してございます」(17年3月9日答弁)
「私ども、行政文書は、紙もパソコン上のデータも同様の取り扱いにしてございます。紙の方は、先ほど申しましたように、さまざまな不要になりました紙はそういうことで処分をしてございます。パソコン上のデータも、今ちょっと手元にございませんが、前に一度お答えしたことがございますが、短期間でそこは自動的に消去されて復元できないようなシステムになってございますので、そういう意味では、パソコン上にもそういうやりとりみたいなデータは残っていないということでございます」(17年4月3日答弁)
このように、佐川氏は記録を処分した旨を繰り返し述べているが、実際には、一連の記録が電子ファイルの形で職員が使うコンピューターなどに保存されていたほか、サーバー上の共有フォルダにも残っていた。また、個々の職員の判断により、破棄されずに手元に残された記録も残っていたという。
ほかに、佐川氏が森友学園案件を認知した時期についても、事実と異なる答弁がなされている。
18年3月の答弁で佐川氏は、「森友学園というものがあって、こういう取引が行われていたということを私が知ったのは、あの二月の売却価格の非開示の報道が初めてでございました」と述べている。だが実際には、報道が出る可能性を意識した理財局の国有財産審理室が17年の2月初旬、報道に先んじて理財局長に案件の概略を説明していた(報道が出たのは2月9日)。
報道の認知をめぐっては、太田充氏も二度、佐川氏をかばう答弁をしている。
「後任の理財局長は佐川でございますが、佐川も、本件については、多分昨年の二月の頭だったと思いますが、報道があって、それから承知をしておるということでございます」(18年2月7日答弁)