2020年も多くの著名人が亡くなった。別れの言葉を共に過ごしたあの人に聞いた。野村克也さんへの言葉を元プロ野球選手の宮本慎也さんが語る。
■僕の監督姿を見せたかった
僕がプロになって初めて指導を受けたのが野村克也監督でした。ヤクルトに入る前から野村監督の野球は頭を使う、求められるレベルが高いとは聞いていました。しかし入団して指導を受けると想像以上でした。実は高校、大学と頭を使う野球を徹底されていましたから、ある程度はできると思っていたのですが、レベルが違いました。
とにかく考える。なぜ、どういう根拠でそのプレーをしたのかを常に問われました。いつも怒られていましたね。でも、よしやってやるとモチベーションは上がりました。野村監督の言う通りにすれば結果が出て、勝っていましたからね。
今は選手と監督がコミュニケーションを取ることもありますが、当時は直接話すことなんてできませんでした。
僕は骨折を隠して出場したことがあったのですが、「根性あるやないか!」と一度だけ褒めてもらったことがあります。野村野球は頭脳の面ばかりが強調されますが、頭脳以上に重要だと考えていたのは根性や精神の面です。
野村監督は僕のことを自分と似ているところがあるようにも感じていたようです。僕は「一流の脇役」を目指していて、その姿勢を褒められたこともあります。監督も現役時代はそういう面があったのかもしれませんね。
ユニホーム姿以外ではじめてお話ししたのは阪神の監督を辞めるとき、吉井理人さんと3人で食事をしたときです。楽天の監督を辞めてからは距離が近くなり、お話しする機会も多くなりました。でも、いつも、野球の話ばかりしていました。
僕がコーチを辞めて現場を離れるときにご挨拶に行くと、「外から野球を見ると欲がなくなるからよく見える」「本を読んでしっかり勉強しろ」と言われました。
野村監督は僕に「監督になれ」とよく言われましたが、監督としての姿をお見せすることはかないませんでした。今年は自粛期間もあったので『野村メモ』を読み直しました。そこは光り輝く言葉で溢れていました。その思いを胸に、いつ監督に呼ばれてもいいようにしっかり勉強します。
僕が監督になったら、天国からまたきびしい指導をお願いします。そして見守ってください。
(構成:本誌・鮎川哲也、太田サトル、村井重俊/吉川明子)
※週刊朝日 2020年12月25日号