しかも、彼の40周年には悲しい別れが待っていた。お笑いにおける師匠、志村けんの死だ。

「志村さんより僕が逝くべきだったと思いました 。志村さんは今のこの世の中に笑いを届けるために必要な人でした。(略)いつかあの世でまた一緒にコントをさせていただけたらうれしいです」

 自身の動画チャンネルに発表された、追悼コメントである。

 なお、志村は80年の時点ですでに人気者だったが、彼が所属するドリフターズは別の熱狂によって影がかすみつつあった。漫才ブームだ。いまでいうところのネタ番組「THE MANZAI」(フジテレビ系)がスタート。ツービートの毒ガス漫才や紳助・竜介のツッパリ漫才は、歌謡界における聖子同様、新たな空気や価値観を体現していた。

 このブームから「笑ってる場合ですよ!」(フジテレビ系)が生まれ、この枠は2年後「笑っていいとも!」になる。また、81年には「オレたちひょうきん族」がスタート。「楽しくなければテレビじゃない」というキャッチコピーを掲げたフジテレビを中心に、お笑い革命が進行していく。80年はその幕開けの年でもあったわけだ。

 さらに、アニメの世界では、ガンダムブームに火がついた。ロボットアニメの金字塔「機動戦士ガンダム」(テレビ朝日系)は79年に始まったが、数字がとれず、80年1月に途中で打ち切り。ところが、そのあたりから人気が高まり、プラモデルなどもどんどん売れ始めた。そこで映画化が決定。翌年以降、映画と再放送により、揺るぎないヒット作となる。

 そんな80年には、のちのアイドル声優もデビューしている。日高のり子だ。じつをいえば、この原稿を書こうと思ったのも、彼女が40周年であることに気づいたからだ。そのきっかけは、12月1日放送の「あさイチ」(NHK総合)。ナレーション担当の日高について「今日、デビュー40周年だそうですね」という視聴者のお便りが紹介された。

 すると、彼女はテレくさそうに「そうなんです」と答え「40年もこうやってお仕事できるなんて思ってなかったんですけど」と語った。実際、アイドルとしてデビューしたもののパッとせず、引退も考えながら4年後、声優に挑戦。85年にアニメ「タッチ」(フジテレビ系)の浅倉南という当たり役にめぐりあえたことで、芸能界に居場所をようやく得たのである。

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