

政治学者の姜尚中さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、政治学的視点からアプローチします。
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菅義偉首相が初めて施政方針演説を行いました。日本で最初に新型コロナの感染者が発見されて1年になりますが、残念ながら総括とは言えない内容です。
なぜ菅政権のコロナ対策はこうもピントが外れているのでしょう。それは初期設定の誤りが正されないまま、システムの誤作動を許している状態だからです。誤りとは、完全に安倍政権の負の遺産で、最たるものが東京五輪です。WHOが警告を出していた昨年春の時点で、日本が最優先していたのは五輪の開催でした。同時期には、習近平の訪日も予定されていました。つまり、安倍政権は国民の生命と財産、経済を守ることよりも長期政権のレジェンド作りに最大のプライオリティーを置いていたと言えます。菅政権はその初期設定をそのまま受け入れざるを得なくなり、結果として迷走しているのです。
昨春の緊急事態宣言では、政府の要請に国民が応じ、その協力によって感染者数を抑え込むことができました。しかし、その後の政策の失敗を国民に転嫁し、時短に協力しない飲食店などに過料を科すというのは信じられないことです。飲食店側にも売り上げに見合わない協力金ではどうにもならず、背に腹は代えられない事情があるでしょう。どこにシステムの間違いがあったのか。何が問題だったのか。なんの総括も反省もないまま、国民に押し付けるのは違うでしょう、と言いたいはずです。
私は菅首相が官房長官時代にインタビューし、いいなと思った発言があります。施政方針演説でも出てきた故・梶山静六氏のエピソードです。
「政治は、あるいは政治家は何のためにあるのですか」という私の問いに彼は梶山氏の教えだとしてこう答えました。「国民の雇用を守ること。雇用を守らないと生活の土台が崩れる」。だからといってGoToキャンペーンがいいことにはならないはずです。また、デジタル改革やカーボンニュートラルに予算をつけたり、マンパワーを貼り付けさせたりするのはまだ先の話です。今は多くの国民が失業や休業や廃業、倒産にあえいでいるときです。いまは雇用を守るためにもコロナ対策に全力投球してほしい。それが、梶山氏の教えに報いることなのですから。
姜尚中(カン・サンジュン)/1950年熊本市生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了後、東京大学大学院情報学環・学際情報学府教授などを経て、現在東京大学名誉教授・熊本県立劇場館長兼理事長。専攻は政治学、政治思想史。テレビ・新聞・雑誌などで幅広く活躍
※AERA 2021年2月1日号