人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、誰にでもやってくる死を受け流すための心がけについて。
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死がひたひたと近づいてくる。
そう感じるのは、まちがいなくコロナのせいである。大体、おめでたくできているので、未来のことには楽観的である。
なるようにしかならないという諦観がどこかにあって、まあ、明日死んでも仕方ないかと思っている。大木や家の大黒柱に体を縛りつけて、いやだいやだと言ってみても、その時が来れば、連れてゆかれる。
どんなにお金をかけて警護を固めても、帝が多くの将兵を派遣しても、かぐや姫はあの月の美しい夜に天上にもどった。叔母は、叔父の死後一人で最後まで仕事を続けた美しい人であったが、スーパームーンと呼ばれる九月の満月の日に息を引きとった。
まことにその人に相応しく、彼女は多分、竹取物語の主人公であったと思った。
こういう死に方ならいいが、昨年コロナが流行り出してから、あっという間に亡くなる突然死が次々とまわりに発生した。
どうもおかしい。一人で死のうと、人々に囲まれようと寿命をまっとうして死んだならいいのだが、無理矢理奪われるのは釈然としない。
そこで私の考える死とは何なのか、少し真面目に考えてみることにした。
この世に思い残すことなく旅立つのも潔いが、少しばかりこの世に未練を残していくのも悪くはない、などと思ってみたり。
そこへ『在宅ひとり死のススメ』という本が送られてきた。
『おひとりさまの老後』シリーズの最新刊で、著者は上野千鶴子さんである。
「在宅ひとり死」とは上野さんの専売特許の言葉。「孤独死」などというめそめそした表現でなく、媚のある言葉でないところがいかにも上野さんらしい。
家族に囲まれ、「おじいちゃん、おじいちゃん」ととりすがる孫に、死を前にした本人が、