学校とも相談しながら、Aさん夫婦は数カ月かけて子どもと向き合いました。でも結局、B君の学校への嫌悪感を消すことはできず、Aさんは「息子のせっかくの中学生活を無駄にさせたくない。このまま不登校を続けるよりも……」と、公立中学校に転校させて学校生活をやり直すことを決断しました。

「今となっては、無理めの学校を候補に入れたのは親の私の願望だった、と反省をしています。控えめな息子の性格を考えたら、身の丈にあった学校に行かせてやるべきでした」

 と振り返るAさん。とはいえ、転校の決断が功を奏し、B君は現在、転校先に新しい友達もできて、中学生らしい表情に戻りつつあると言います。

 また、人気の大学附属中学校に入ったものの、再び高校・大学受験を余儀なくされたお子さんもいます。

 7年前、名門大学の附属校に合格したD君。地方で中高6年間を過ごした後に、東京の名門大学への推薦枠が多くあるという学校でした。D君自身は、東京を離れて寮生活への不安もありましたが、親であるCさんには「大学受験をせずとも名門大学へ入れるのなら、かなりお得だ」という計算があったそうです。Cさんは「親から離れて暮らすのもいい経験だろう」と考え、息子の明るい未来を信じて、地方へ送り出したといいます。

 しかし、その中学でD君は、定期テストは下から数えた方が早い順位をずっと抜け出せませんでした。中高一貫校ですから、同級生は高校でも同じメンバー。自分よりも上位者多数の状況で大学の推薦枠を争うことになります。推薦枠は学年の生徒数の約半分。D君の中学の成績からは、その半数の席を勝ち取るのは、かなり難しいことが予想されました。つまり、推薦がもらえず、一から大学受験の準備をしなければならなくなる可能性が高かったのです。

「ならば地方にいるより早めに東京の塾に行かせた方がよいだろう」とCさんは判断し、D君は結局、東京に戻って高校受験をすることになりました。周囲から「あら、息子さん、なぜ戻ってきたの? そのまま大学に行かないの?」と聞かれ、Cさんはやるせない気持ちになったといいます。息子のD君にも、出戻ったような引け目を感じさせてしまい、劣等感を植え付けてしまったのではないかと心配になりました。

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入ってしまえばなんとかなるだろう、の誤算