人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、間もなく発生から10年を迎える東日本大震災について。
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三・一一神はゐないかとても小さい
照井翠『龍宮』より
二月十三日午後十一時七分頃、地震が起きた。東京では緊急地震速報が鳴って間もなく、揺れはじめた。テレビでTBSの「ニュースキャスター」を見ていた最中で、まず、つれあいを起こし、玄関をあけ、頑丈な机の下にうずくまった。
長かった。十年前のあの日と同じように長く横揺れがゆっくりと大きく、船酔いしそうな感覚。福島県沖の震源は五十五キロと深かったため、津波はまぬがれた。
誰もがあの日を思い起こしただろう。間もなく十年。気象庁の発表では、3・11の余震だという。十年たってまだマグニチュード7・3の余震が起きる。なんとしつこく恐ろしいことか。それだけマグニチュード9・0の十年前の地震がいかに稀に見る激しさだったかがわかる。
阪神・淡路大震災も7・3だったというから、今回の余震の大きさもよく想像できる。
十年前を経験した東北の人々はいかに肝を冷やしたことだろう。
福島・宮城などは震度六強や震度六弱の揺れに見舞われた。石巻の知人は、物が落ちたり倒れたりはしても大きな被害はなかったというが、精神的なショックに苛まれたそうだ。
せっかく収まりかけた心の傷の蓋が再び開いてしまったのだろうか。
しかもまだ余震は続くという。自然の一員として、私たち人間は感覚を磨いておかなければいけないと思う。
気仙沼の様子がテレビに映った。3・11の夜は火の海だった。震災後、せめてもの義援金を持って知己である市長に面会した。私が会長をつとめる日本旅行作家協会の面々と一緒である。
市長の家も流され、母上を火の海から救い出すのがやっとだったとか。道沿いに、外側だけになった半ばもぬけの殻の家々が並び、巨大な船が横倒しになっていた。