いわき市のほぼ中央に位置する「いわき好間中核工業団地」は、70以上の工場や物流拠点が集まる東北有数の工業集積地だ。その広大な敷地の一角に「キャニオンワークス」はある。

 広い工場スペースに響くミシンの縫い音。すぐ横のデザイン室には、製図板に向き合う職人の姿があった。バックパックやウェットスーツ、レスキュー装備などを手掛ける同社では、企画・デザインから製造・出荷までを一貫して自社で担うことができる。

 1976年、浪江町で創業。震災前には、町内に2カ所の工場を構えていた。12年に2代目社長に就いた半谷(はんがい)正彦さん(41)がこう説明する。

「仕事はすべて下請けやOEM生産(相手先ブランドによる生産)でしたが、取り扱える製品を増やし、会社も成長していたところで震災にあいました。工場のひとつは傾いて使えなくなった。原発事故もあって、町を出ざるをえませんでした」

 ベトナム人技能実習生の受け入れを頼んだ群馬県の取引先が、会社を丸ごと受け入れてくれたという。各地に避難していた社員が群馬に集った。

「感謝してもしきれません。一方、自分たちは福島で生まれ、育ててもらった会社。仮暮らしでは新たに人を雇うことも難しい。早く戻らなくてはといつも考えていました」(半谷社長)

 福島に戻り、いわき市に新たな工場を構えた同社は、18年から「自社ブランド」を立ち上げた。OEMや下請け専業だった同社にとって、自社の名を掲げて市場へ打って出るのは初めての経験だった。立ち上げたのは3ブランド。OEMでも経験がなかったファッション・ライフスタイルバッグブランドの「MACOLE(マコール)」は、30歳の山田裕貴さんがひとりでコンセプトを設計。デザイナーらとやり取りしながら開発している。山田さんが言う。

「震災前は夜通し遊んで仕事中寝ているようなダメ社員でした。ですが、群馬に来られない社員もたくさんいるなか、何とか会社を支えなければという気持ちが芽生えました」

 自社ブランドの売り上げはまだまだ大きくない。それでも社員の意識は大きく変わったという。半谷社長が続ける。

「自分たちが作る製品がお客様の手に届くんだという『モノづくりの根源』を改めて感じることができました」

(編集部・川口穣、ジャーナリスト・菅沼栄一郎)

AERA 2021年3月1日号より抜粋

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川口穣

川口穣

ノンフィクションライター、AERA記者。著書『防災アプリ特務機関NERV 最強の災害情報インフラをつくったホワイトハッカーの10年』(平凡社)で第21回新潮ドキュメント賞候補。宮城県石巻市の災害公営住宅向け無料情報紙「石巻復興きずな新聞」副編集長も務める。

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