当時の取材メモを振り返ると、そんな中で中田さんからもらった言葉が一気に世界を広げたとのことでした。
「お仕事はいただくけれど、できないことがたくさんある。先輩方は事も無げにいろいろなことをされるけれど、自分は全くできない。そんなことを悩んでいた中、たまたま中田さんと同じ仕事になったんです」
「地方に行く営業の仕事だったんですけど、移動のバスの中で、ふと素直に聞いちゃったんです。『私は大喜利もできないし、苦手なことがたくさんあるし、どうやったらできるようになるんですかね?』と」
「そこで、中田さんが言ってくれたんです。『お前には長所がいっぱいあるだろ。短所は捨てる。短所を伸ばすよりも、誰もマネできないところまで長所を伸ばす。短所を伸ばしても、普通のレベルになるだけだから。同じ努力をするならば、長所を伸ばした方が絶対にいいし、伸ばすべき長所があるんだから』」
「その言葉で、考えたんです。自分の長所ってなんなんだろうと。ビヨンセもやって、コントでいろいろなキャラクターもやらせてもらって。もしかしたら、長所は“表現力”になるのかなと。そこを伸ばすにはどうしたらいいのか。何がどうなるのか分からないけど、とにかく向かったのがニューヨークだったんです。それが2014年の5月。3カ月間の短期留学だったんですけど、自分にとってすごく大きな3カ月でした」
最初のニューヨークから約7年。いよいよ、大きく羽ばたくことになりました。
その間に、中田さんは吉本興業も出て、これまた海外を拠点に新生活を始めました。
否応なく、時間の流れを感じますが、渡辺さんはインタビューをした際、中田さんへの恩返しについても語っていました。
「私が言うのはホントにおこがましいんですけど、中田さんって強がりな部分があって、私たち後輩にはもちろん、先輩にも本心を見せない部分があるんです。その上、真面目な方なので、考え込んでしまうところもある。なので、いつの日か『直美、実は、こんなことがあってさ……』と相談されるような人間になることですかね。ただ、それをやるには、こちらのステージをもっともっと上げないとダメ。50歳なのか60歳なのか、いつになるか分かりませんけど、そんなことができたらいいなと思っているんです」
確実に、時間は流れている。そして、その分、着実に前に進んでもいる。恩返しが実現する時が、より待ち遠しくなりました。
(文:中西正男)