デビュー当時は少女マンガを描いていたという、『あしたのジョー』の作者・ちばてつやさん。少女マンガの黎明(れいめい)期と自身の新人時代、意外な影響とは。AERA 2021年3月8日号では、ちばてつやさんに少女マンガとの深い関わりについてインタビューした。
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私が貸本マンガでデビューしたのは17歳の時。初めて読んだ杉浦茂さんの作品が面白くてびっくりしました。そこからマンガに夢中になって、見よう見まねで描き始めたんです。
当時は少年マンガには手塚治虫さんはじめ、大御所がたくさんいて、少女マンガだとデビューしやすかった。とはいえ私は4人兄弟で男ばかりの中で育ち、女の子の気持ちなんてわからない。古本の少女雑誌を買ってきて、研究しながら描きました。
戦争の記憶が残っていたせいか、その頃は悲しい話が多かった。父親がシベリアから帰らず、母子が苦労するとか。映画でも三益愛子さんの「母もの映画」が大流行していたから、少女マンガもそうした話を求められた。けれどずっと、悲運に泣き、我慢する女の子を描いていたら、「このまま我慢ばかりさせるストーリーは嫌だ」と思って、主人公の女の子がいじめにあった時に逆襲して男の子をやっつける話を描いたんです。
担当編集者からは描き直すように言われましたが、締め切りが過ぎていたので直す時間がありません。ところが雑誌が出ると、読者からは大反響。そのとき「人の気持ちに男も女もなくて、人間はすべて一緒なんだ」と教えてもらいました。
それからますます元気な女の子を描いていたら、少年誌からも依頼がくるようになった。ちょうどその頃、才能のある若い女性作家が次々とデビューしてきた時期で、自然に少年誌へと場所を移しました。
ただ、デビューから2年ほど少女マンガばかり描いていたので、影響は残りましたね。どうしても目が大きく睫毛(まつげ)が長い、ちょっと憂いを含んだ瞳を描いてしまうんです。それがかえって「男として色気がある」と言ってもらえたり。
少女マンガでデビューしたときはどう描くべきか、苦しんだけれど、結果的には貴重な財産になりました。だって世の中の半分は女の人で、物語には母親や恋人、女性がたくさん出てきます。デビューさせてくれて、作家として成長させてくれた、少女マンガには心から感謝しています。
(ライター・矢内裕子)
※AERA 2021年3月8日号