NHK大河ドラマ「八重の桜」で主役の八重役を演じている綾瀬はるかさん。最近では役柄に感化されてきているという。
「最初に大河ドラマの話をいただいたときは、山本八重の名前さえも知りませんでした。自分なりに資料を読んで感じたのは、八重はどんな障害があってもはっきりと主張する女性だということでした。八重を演じる不安感と大河出演の喜びが一緒になって複雑な心境でした。
広島県生まれで、会津弁はまったくしゃべれませんでした。自分の耳で勉強して、『すんごく上手にしゃべっているよ』と福島出身の共演者の方に言われて、八重の感情が体に伝わってきた気持ちがしました。性格も八重に感化されたのか、最近は思ったことをはっきり言うようになりました。
会津の砲術師範の家に生まれて、兄の覚馬について女だてらに鉄砲まで撃つ。発砲したときの反動もありますが、私は小さいときから運動神経はよかったんです。学生時代は部活でバスケットをやっていて、走りは学年で一番。運動会ではいつもリレーのアンカーをしていました」
綾瀬さんは共演者たちと、ドラマの撮影が終わると「山本会」を開いていた。覚馬役の西島秀俊さんや両親役、弟の三郎役に幼なじみ役などのゲストも呼んで、食事をしながら現場の話で盛り上がったという。
「八重が、敵が攻めてくると予想された白河や二本松を偵察に行く場面があります。二本松では戦いに参加する子どもたちからも、『女子(おなご)でも本当に鉄砲を撃つのか』と言われました。白虎隊ばかり有名ですが、二本松の少年隊の悲劇を思うと、八重は弟の三郎や少年隊の仇(あだ)をうつと本当に思ったのでしょうね。会津の危機のために男装までして戦った八重の感情は、激しかったと思います。
八重の台詞(せりふ)で、『戦はとてもおもしろいものでございました』という記述があります。とにかく、どこからでも攻めてくる。弾もどこから飛んでくるかわからない。怖かったはずですが前向きに絶対に負けないと戦った。とてもユニークな人だから、ああいう凄い言葉が出てきたのでしょう。戦がおもしろいとは何事かと叱られるかもしれませんが、八重さんの思いは何かわかるような気がしました」
八重は会津戦争後に最初の夫・川崎尚之助と別れて、同志社の創設者、新島襄(にいじまじょう)と再婚する。「ジョーのライフは私のライフ」と言い、襄の死後も教育に励み、日清、日露戦争では篤志看護婦として従軍までした。
「幕末から昭和まで激動の時代を戦い続けた前向きな女性だったと思います。まさに『坂の上の雲』も体感した女性ですが、私はあのドラマは2回しか見ていません。私にとっては、今回の脚本がすべてで、あまり本は読みません。父親は司馬遼太郎さんが大好きなのか、あるとき『竜馬がゆく』を全巻送ってきて、『読むように』と言われたのですが、私には難しかったのか、途中で挫折してしまいました。
幕末の時代は大変だったと思います。歴史の流れで息が詰まり、何を信じて生きていけばよかったのだろうか、と悩んでしまいます。しかし、私は八重の明るい振る舞いこそが救いだと思って演じています。私は広島生まれですが、今は会津人になりきっています」
※週刊朝日 2013年5月24日号