哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、倫理的視点からアプローチします。
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新聞を開いたら一面トップは「企業管理ツール『トレロ』で利用者の個人情報が公開のまま放置」という記事だった。次の頁(ページ)にはみずほ銀行のシステム障害は「デジタル化を進めるあまりシステムの安定運用という基本をないがしろにした」ためという記事だった。新型コロナウイルス対策の接触確認アプリCOCOAは感染症対策の切り札として鳴り物入りで導入されたが、4カ月余り機能不全だったことがわかった。このところその手の話ばかり読まされている。
先日近くの銀行に行ったら生体認証カードが使えなくなっていた。カードに生体データを入力するから印鑑と通帳と免許証を持ってこいと言われた。生体認証なので通帳には印影がない。でも、それを押さないとカードの更新ができないと言う。「印影が登録されていない印鑑では本人確認できないし、そもそも生体認証はハンコを不要にする仕組みじゃなかったの?」と聞いたけれど、窓口の女性行員は「すみません」と叩頭(こうとう)するだけで、何も説明してくれなかった。
日本のテクノロジーは気がついたらずいぶん劣化していた。おそらくどの事例でも、システム設計を受注した企業が中抜きして下請けに丸投げし、そこがまた中抜きして孫請けに再委託し、そこがまた……ということが繰り返された結果だと思う。当初予算の何分の一にまで削られた安値で引き受けた末端の小企業が、タイトな納期で、社員を寝かせずにシステムを組んで納品したことの結果なのだろう。
日本の技術力が衰えているのではなく、働く人一人一人の知力技能を最大化するためにはどうすればよいのかという一番たいせつなことに「上の人」が頭を使わなくなったせいである。
どの組織でも、質の高いアウトカムをめざすよりも、管理コストを最小化することの方が優先されている。現に、これらの技術的な失敗はどれも「こんなんじゃ使い物になりませんよ」とにべもなく言う「諫言(かんげん)の士」がいれば阻止できたはずのことである。
そういう人たちが排除され、上の指示にひたすら頷(うなず)くだけのイエスマンで組織が埋め尽くされたせいで日本の技術力はここまで落ちたのだと思う。
内田樹(うちだ・たつる)/1950年、東京都生まれ。思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒業。専門はフランス現代思想。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学客員教授、合気道凱風館館長。近著に『街場の天皇論』、主な著書は『直感は割と正しい 内田樹の大市民講座』『アジア辺境論 これが日本の生きる道』など多数
※AERA 2021年4月19日号